子どもの非行の兆しが気になったら心がけるべきこと - 非行を防ぎ、素直な子どもへ

子どもの非行の兆しが気になったら心がけるべきこと

2018.05.06 (日)

非行少年や犯罪者は一言で言うと、自己中です。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

 

自己中の特徴を一つ紹介します。それは「線にとらわれている」です。社会や組織に引かれた線にこだわり、周囲が見えなくなって柔軟に物事を考える事ができなくなる事です。子どもと接する機会のある大人がこの価値観を有していたら要注意です。

 

 

例えば組織の線。世の中の多くの組織には、横にも縦にも無数の線が引かれています。ほとんどの組織にはいくつかの部署があり、業務を分けて処理しています。また役職や立場も、年齢や仕事の出来具合によって分けられています。これが線なのです。

 

 

組織が小さいうちは、まだ引かれている線は少ないのでしょうが、組織が大きくなるにつれてどんどん線が増えていきます。引かれた線で部署ごとに担当する仕事が分けられ、役職によって同じ業務でも違う目線が求められるようになります。

 

 

もちろん線を引いて組織を分けることによって、多くのメリットが生まれました。業務を部署ごとに振り分けることによって、幅広く仕事をこなす必要がなくなり、それぞれの仕事の習熟度を上げる事ができるようになりました。

 

 

年齢や売り上げなど、立場を変えるための基準を設ける事で、半自動的に多くの立場の人間を作る事ができるようになりました。新入社員から始まって、主任、係長、課長、部長とポストを上がるにつれて、責任感や目線の違いを設ける事が可能になったのです。

 

 

ですがこれによって出てきた弊害が、手段と目的の逆転現象です。本来、業務の生産性を高め、より高いパフォーマンスを発揮するために引かれた線が、独り歩きを始めてしまっているのです。

 

 

仕事の依頼に対し、部署をたらい回しにされて「どっちの部署が扱うのか」なかなか決められなかったり。また他の部署をライバル視してしまい、部署間で人間関係の不和や、意思疎通がうまく図られていなかったり。

 

 

私たちは社会に規則やルールを設けることによって、より自由な営みを得る事が可能になりました。「これ以下なら許される」「これ以上は許されない」という線を引くことによって、他人から必要以上に干渉されない自由を得られるようになったのです。

 

 

ですがこの線というのは万能なものではありません。もともと人間社会というのは混沌としており、煮えたぎったスープのようなものです。白と黒で分けられるものではなく、全てが混ざっているのです。常に各所がそれぞれに変動しており、その中に無理に引いた線で物事を分けようとしても、どだい無理があるのです。

 

 

道路交通法では、運転中の携帯電話の使用が禁止されています。ですが、運転中に携帯電話を使用していても、周りをよく見えている人もいれば、よく見えていない人もいるでしょう。携帯電話を使用している理由も様々で、単にゲームをしているだけの人もいれば、病気の家族と連絡をとっているという人もいるでしょう。

 

 

さらに規則という線を引いてしまったために、見えるモノと見えないモノもできてしまいました。日本の法律では、子どもでも14歳以上であれば罪に問う事ができますが、14歳未満は問う事ができません。罪に問えるはっきりしたものがあるため、世間の目は14歳以上に注がれ、14歳未満には盲目的になっていたのです。

 

 

その反動が、昨今の少年法に対する不満なのかもしれません。14歳未満の子どもの凶悪な事件が目につくようになり、少年法の改正が叫ばれているのです。

 

 

このように、線を引くことには一長一短があります。社会を営む上で我々人間が線を引くことは、仕方のないことなのかもしれません。社会にいるのが自分一人だけでない以上、規則やルールがなければ他人の干渉を受けたり、自分自身もどこまで振る舞っていいのか分かりません。

 

 

大事なのは、このような規則やルールに対し、柔軟に対応できるかどうかです。線を変えられないものとして認識するか、必要があれば変えるべきものとして認識するかです。元々は「人間が社会生活を円滑に営む」という目的のために、手段として規則やルールが作られたのです。手段はあくまで手段であって、それが目的になっては本末転倒です。本来の目的を達成できません。

 

 

手段と目的が逆になっている例はいくらでもあります。職場では日ごとに簿冊記載の必要性が増えて、本来業務をスムーズに行うためなのに、逆に簿冊に業務がしばられてしまっています。業務の達成目標も、本来の意味から離れ、「どんな手を使っても数字目標だけは達成する」という最終目的になっている組織が多いはずです。

 

 

ある組織では、「月をまたいで出した数字は、どっちの月のカウントになるのか」「複数人が関わって出した数字は、どのように振り分けるのか」という本来の目的とはズレた議論が今日も活発になされています。手段を絶対視し、手段に目的を合わせようとしてしまっているのです。

 

 

線を引くことは手段であって、それ自体が目的になることは本質的にあり得ないはずです。本来の目的のために、必要であれば自分から規則やルールを変える気持ちが、素直な頭には必要なのです。

 

 

 

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