子育てにおいて謝罪を教えることは、なぜ必要ないのか

2018.01.24 (水)

子育てにおいて「謝罪」って、皆さんよく教えると思います。悪いことをした子どもに対して「謝りなさい」というやつです。ジュースをこぼした子どもに対して「●●ちゃん、謝りなさい!」とか。大事なおもちゃを投げた子どもに対して「●●ちゃん、誤ったら?」とか。

 

 

でも私は、謝罪って必要ないんじゃないかと、常々思っています。今日はその理由を伝えたいと思います。

 

 

1 大人でもうまく謝罪できている人はいない

 

まず、謝罪できている人は、大人でもほとんどいないです。謝罪が必要だと思われる場面で、うまく謝罪できる大人はほとんどいません。「謝罪なんか必要ないのに」と思われる場面で謝罪を持ってくる状況はよく見ますが。

 

 

謝罪が必要な場面でうまく謝罪できず、必要のない場面で謝罪を持ち出してくる。ですが社会はうまく回っています。謝罪は、子どものうちからわざわざ教えるようなものではないのだと思います。大人に成長するにつれ、自然と立ち回り方を覚える事でいいのです。

 

 

2 相手を屈服させる手段になっている

 

謝罪は、相手を屈服させる手段として広く使われています。自分の行為を申し訳なく思って謝罪をする人はほとんどいないのです。謝罪が使われるのは、申し訳なく思っての自発的なものではなく、相手を屈服させるために仕方なくするものとなっているのです。

 

 

例えば、AさんがBさんを殴ってしまったとします。こんな時、理由はどうであれAさんはBさんに対して謝罪すればいいのですが、Aさんは言い訳ばかりで謝罪しようとしません。それに対してBさんは、謝罪を要求します。

 

 

このような場面、よく見て思うのは、どっちもどっちなんですようね。謝罪しないAさんも悪いし、それに対してBさんも、謝罪をさせる事で相手を屈服させようとしているんです。謝罪するかどうかは相手次第なので、それに対して強く要求することはできません。無理やり謝罪させている様子は見苦しいだけです。

 

 

3 謝罪を要求する姿は見苦しい

 

相手に謝罪を要求する姿は非常に見苦しいものです。強いエゴ丸出しの瞬間です。自身の非を省みずに、一方的に相手を悪者にしようとする姿を見て、尊敬の念を抱く人はいないはずです。社会には、寛容さが必要です。「いいよいいよ、そのくらい」という、心の広さ・器の広さです。

 

 

確かに我を忘れるほどの事件も世の中にはあります。家族を殺されたり、愛する人が死んでしまったときなど。周りが見えなくなるほどの感情とはあるでしょう。ですが、そんな場面は9割方ありません。ほとんどの謝罪の場は、寛容さがあれば終わるようなものです。

 

このように、世の中には謝罪をうまく使えない人であふれかえっているのが現状なのです。わざわざ小さい子どもに教えるものではありません。手本になるべく大人が使えていないのですから。参考にしてくださいね。

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