なぜ子どもに伝える言葉は定番ではなく、本音がいいのか

2017.08.24 (木)

例えば警察官は、形式ばったことしか言えないのがよくありません。

 

 

小学生の交番訪問というのがあります。小学生が学校の授業の一環で、近所の交番や警察署を訪問して質問するんです。「どうして警察官になったんですか?」「警察官になって嬉しいことはなんですか?」「仕事は辛いですか?」

 

 

子どもたちの質問が定番なのはいいのですが、それに答える警察官も定番の答えしか言うことができないんです。

 

 

先の質問に対し、大方の警察官はこのように答えるでしょう。「町の平和を守りたかったからです。」「みんなの笑顔を見られるところです。」「体力的には辛いですが、市民のため、苦しいものではありません。」

 

 

このような形式ばった答えは大抵、警察官の本心ではありません。彼らも私たちと同じ人間ですから、苦しいものは苦しいし、嫌いなものは嫌いなのです。汚いものは触りたくないし、疲れた時は動きたくないし、月末に給料は欲しいのです。

 

 

本音でない言葉には情熱も説得力も、何もありません。小学生が社会を知ろうと職を見て回る際に、答える側が本音を言えないのでは、このような授業自体が無意味になってしまうのです。

 

 

なぜ形式ばった答えしかできないかと言うと、理由は3つです。

 

 

まずは「組織からのプレッシャー」です。組織は自分たちの威厳を守るため、形式ばった答えを部下に要求します。「立派な警察官ならこう言うだろう」と言う答えしか、答えることを許されない雰囲気なのでしょう。ですから警察官は自分の考えで答えを話す機会がないまま過ごしています。

 

 

組織は自分たちで自分たちの首を絞めているのです。組織の理想の考え、行動を用意し、それを部下に要求するので、これでは自分で考えて行動できる人間が育ちません。

 

 

次に「自分たち自身でも深く考えていない」です。警察官は職務上、自分の考えを話す機会がないため、普段から自分で考えることに無頓着です。物事を深く考え、自分独自の答えを話すことに慣れていないのです。

 

 

それゆえ、人から質問されて答えを求められても、よく聞く定番の答えしか口から出てきません。そして、それが自分の考えだと勘違いしている場合が多いのです。小学生から質問されて定番の答えしか、警察官の口から出てこないのは、その警察官自身の頭の中に、話せるだけ練られた答えがないのです。

 

 

最後に「それが社会のためだと思っている」です。

 

 

多くの警察組織や警察官は、定番通りの答えを話すことが、社会のためだと思っています。確かに大抵の市民も、定番の答えを求めているのかもしれません。定番通りの答えを話す警察官を見て「やっぱり警察官ねぇ」「さすが警察官だね」と表面的な安堵を得たいのかもしれません。

 

 

ですが、それでは社会のためにならないのです。「市民が警察官に定番を求め、それに対して定番で持って応える」ことが間違っているのです。

 

 

市民である私たちが警察をはじめ、組織や著名人に求めるのは、「予想どおりの定番の答え」ではなく「本音」でなくてはなりません。ネット技術の発達で、隠し事ができない社会になっています。ウソをついても、いずれ暴かれる社会なのです。そのような社会のかで、ウソをついて本音を隠すことに意味はありません。

 

 

定番の答えを言われて安堵しているような市民はまだまだです。定番の答えは表面的な安堵しか我々に与えてくれません。本当の安堵は、本音を言われた時に得られます。例え定番の答えから外れていようとも、本音には情熱や説得力や清潔さが表れます。そこを得るべきなのです。

 

 

警察官だけでなく、世の組織人たちは本音を話すことに躊躇してはいけません。なんの情熱もこもっていない定番の答えを話すよりも、自分の奥底にある本音にスポットを当て、それをアウトプットするべきです。

 

 

見学された方が本音を言うからこそ、小学生の職場見学に意味が出てくるのです。本音に含まれる情熱やエネルギーにこそ、人の考えや行動を変える要素があるのです。定番の答えを言うことに、社会を良くすだけの価値はありません。「警察官ならこう言うだろう」定番の答えは、小学生でもなんとなくわかります。

 

 

子育てにおいて、定番の答えは必要ありません。本音を話すべきです。ですから、普段から「自分の本音は何なのか」頭の中で練られるべきなのです。定番の答えを言われた子どもは、「定番の答えを言うことが大人なのだ」と勘違いしてしまいます。

 

 

子どもは成長は、環境に左右されます。定番の答えの中で育っては、子どもが将来、同じように育つでしょう。定番の答えしか言えない、考えの薄い、表面的な考えしか持てない人間になってしまいます。

 

 

「嫌いなものは嫌いである。」「組織はどうか知らないが、自分はこう思う」と言うことを話しこそが社会に必要なのです。良く練られた本音こそが、子どもの成長を支えるのです。

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