子どもの非行を防ぐ抽象化思考の、おさえておきたい性質とは(5、具体から抽象への流れ)

2018.07.17 (火)

社会は、抽象から具体へと流れていきます。川とは上流から下流へと流れるものであり、その流れは不可逆であるように、社会も抽象である上流から具体である下流へ流れていきます。社会の抽象から具体への流れも、川の流れと同じように不可逆なのです。

 

 

神話の時代からの歴史を持つ日本も、比較的新しい国であるシンガポールも、建国時は少数の集団もしくは個人が国を作りました。特異な考えを持って実力のある個人が、自身の建国のコンセプトに従って国という社会を作ったのです。

 

 

国を作る初期の段階で必要とされるのは、アクが強くて個性的な人間です。歴史を見ても、国を作ったのは突出した力をもった個の力です。アレクサンドロス大王も、チンギス・ハーンも、織田信長も、抜き出た武力でもって国を作ったのです。

 

 

それがやがては、徐々に支配層が増えていきます。一人が国を作り、その作った国を維持管理するために組織となり、組織が大きくなって行くのです。

 

 

そしていずれ民主化します。多数決に代表されるような、多数である事が重要な意味を持つようになるのです。一度民主化してしまえば、後戻りすることはなかなかできません。重要な事ほど万人に受け入れられる事が必要になるため、万人にわかるような事項でないと裁決できないようになるのです。

 

 

これは会社においても同じです。会社も創業したてのベンチャーから大企業へと、川のように不可逆的な流れを持っています。角が尖った大きな石が、角の丸い小さな多数の小石へと変わります。

 

 

圧倒的な個人がコンセプトを持って会社の方向を決めて創業します。それから少数の経営陣が会社を動かすベンチャーへと変わり、やがては多数の従業員を配する大企業へと移ります。人数が多くなればなるほど、一人一人の角は丸くなって個性は消え、当たり障りのない万人受けする会社へと変わります。

 

 

具体化とは、線を引くことでもあります。一度引いた線は、なかなか消すことはできません。一回線を引いてしまうと、どんなに目に見える部分を消したとしても「そこに線を引いた」と言う意識が残り、たとえ見えなくても線を意識してしまうもの。だから、一度引いた線を無かったことにはできず、抽象から具体への流れは不可逆なのです。

 

 

例えば、常識という線があります。一度常識だと思ってしまうと、それを頭からなくすことはなかなかできません。

 

 

一度豪華な生活、便利な生活、新しい生活を経験してしまうと、その基準が当たり前だと思い、基準を落とす事がなかなかなできません。携帯電話が日本で普及したのは、私が高校生の頃でした。それまでは近くにいない人と連絡を取る手段は、固定電話のみだったはずです。それがいまでは一人一人が携帯電話を持っているので、いつでもどこでも連絡を取る事ができます。

 

 

さらには携帯電話もスマートフォンに進化しました。電話での連絡がメールでの連絡に変わり、メールでの連絡がLINEでの連絡に変わりました。万人受けするわかりやすいものは、普及することはすれど、逆はあり得ないのです。

 

 

ルールや規則もどんどん新しいのが増えていきます。会社では、日進月歩でルールという線が増えていきます。例えば、簿冊は会社で何かトラブルがある度に増えていきます。例えば電話対応を例にあげます。相手の名前を聞き忘れた、相手の連絡先を聞き忘れた、内容に漏れがあった、などがある度に、それを忘れないようチェックするという備忘録の意味で簿冊が増えるのです。

 

 

ですが、その前提条件が崩れても消えないのが一度引いた線の怖いところです。たとえ電話がパソコンのシステム上での入力、閲覧するという作業に変わり電話でのやりとりと違って「忘れる」という事がなくなったとしても、簿冊は存在し続けます。相手の名前、連絡先、内容の漏れがないか、などをチェックし続けなければなりません。

 

 

社会でもルールはどんどん増えていきます。「〇〇してはダメ」という規則です。曖昧にしているよりも、はっきりとわかりやすい方が万人に受け入れられるので、誰でもわかるようにルール化せざるを得ないのです。

 

 

信号機は車や歩行者に交通ルールを強いるものですが、街中で信号機は増える事はあれど、減ることはありません。信号機は必要があって設置されます。事故が多い、渋滞が多い、通行が不便。そんな声が大きくなり、行政を動かして信号機を設置させるのです。

 

 

確かに交通環境を改善させるという意味で信号機は大変便利なものですが、一度されてしまったら最後、撤去することはできないのです。これは物理的な理由ではなく、人間心理的な理由によるところが大きいものです。

 

 

例え信号機をつけたその交差点の車の交通量が少なくなっても、その町の人口が減って歩行者自体が減ったとしても、信号機を撤去するにあたって「何かあったらどうするんだ」「撤去したあとで事故があったら誰が責任をとるんだ」という声が出たり、また実際に声は出ずとも心理が働き、撤去する事ができなくなるのです。

 

 

さらにはテクノロジーが拍車をかけます。テクノロジーの進化が、抽象から具体への流れを加速させます。昔は、何もかも曖昧なままでした。はっきりと誰にでもわかりやすくする手段がなかったのです。自分の目の届かない場所で起こっていることを知る手段はなかったですし、いつでもどこでも情報を得る事はできなかったのです。

 

 

ですがテクノロジーの発達で、それが可能になりました。昔は中央政府でどんな事が話し合われているか、一般人にわかるすべはありませんでした。ですがテレビが普及した事で、国会の生中継が可能になりました。何が起こっているか、はっきりとわかるようになったのです。

 

 

さらに今はライブ動画配信が個人でも可能になりました。大きな組織でなく、個人レベルで万人に受け入れられる事が必要な時代です。

 

 

インターネット環境の進化で、いつでもどこでも情報を取り出せるようになりました。例えば警察の仕事。数年前までは、警察がやっていることはわかりにくいものが多かったと思います。グレーな動きも活発でした。

 

 

それが今では、法律家でなくとも法律を知る事ができる時代になりました。警察がしていることは合法なのか違法なのか、誰でも判断できるようになりました。曖昧なグレーは認められず、警察もわかりやすい動きしかできなくなったのです。

 


 

 

 

 

プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。

 

 

非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

 

子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。

 

頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。

 

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