疑う方と疑われる方〜警察官千葉とうしろうの非行を防ぐねらい目

2018.06.27 (水)

疑う方と疑われる方のギャップについてです。同じ事象に対しても、疑う方と疑われる方では考えに違いがあります。

 

 

例えば小学校の近くに車を駐車して、車内で何かしらしている人がいたとします。この行為を不審だと思うかどうか。疑う方は、「そんなことをしていたら疑うのは当たり前だろう」という感覚です。誰がみても不審に思うだろう、という頭です。

 

 

もしかしたら、小学校生を盗撮しようとしているのかもしれない。もしかしたら小学校を襲撃しようとしているのかもしれない。いずれにしよ「小学校の直近に車を駐車していたら疑われても何も文句は言えないだろう」と思っているのです。

 

 

対して疑われる方は、小学校の直近に車を止めていても「そんなのは不審でもなんでもない」という感覚です。「小学校近くに車を止めることが不審なら、なんでも不審になってしまう」「そんなことで疑っていたらキリが無いだろう」と考えます。

 

 

お互いに自身の考えや感覚に固執してしまい、相手の立場に想像力を飛ばすことができなくなっているのです。このように疑う方と疑われる方では考えが180度違っており、お互いに自分が盲目的になっていることに気づかない状態です。冷静に自身を見る目があれば、世の中のトラブルもまた減ると思うのです。

 

 

「本のねらい目」は、「父親になるということ」です。子育ては、子どもに対してどれだけ影響力を出すか、が大きなウェートを占めます。影響力を行使できる立場にあり、子どもよりも多く人生を経験している、ので、やろうと思えば子どもを支配できる立場にあります。

 

 

子育ては、「どれだけ子どもに任せるか」「どれだけ子供の主体性を認めるか」「どれだけ子どもWO認めるか」といった事に集約されます。勉強にしろ遊びにしろ、「親がやる範囲をどこまでに設定するか」というものです。

 

 

親としては手を出したい心情が強いと思うので、つまりは「支配したい自分をいかに抑えるか」「どれだけ手を出さずに見ていられるか」という事が試されるのが子育てなのだと思います。

 

 

著者と幼い長男が公園に行こうとした際に、長男は道端の花に興味を取られてしまい、足が止まってしまいました。著者は早く公園に連れて行きたい気持ちでいっぱいです。花を見ていたい子どもと、公園に行きたい親。

 

 

連れて行こうと思えば、子どもに影響力を行使して連れて行くこともできるでしょう。だけどどこまで自分を抑えることができるか。大きいものから小さいものまで、「どこまで影響力を行使するか」という葛藤の連続です。

 

未来は小さな一歩から。こちらの内容は、各業界の専門家がインターネットラジオやユーチューブを通して番組を提供する「これから放送局」でも視聴できます。

 


 

 

 

 

プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。

 

 

非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

 

子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。

 

頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。

 

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