子育てや非行の専門家として、このうえない喜び
私は子育てや子どもの非行のスペシャリストとして活動していますが、私にはこのうえない喜びがあります。
来月、我が家にはもう一人家族が増えます。
男の子です。
この間、産婦人科で胎児の写真(?)をもらいました。やや横を向いていて、ボクシングポーズです。当然ながら目はつぶっています。耳も形はぼやけています。
「一姫二太郎」が理想として頭の隅にありましたが、なかなか理想どおりにいかないものです。ぜいたくな悩みとはいえ、二人とも男の子となると、女の子がいる家庭が少しうらやましく思えます。
長男のスイミングスクールに付き添う際、ベンチに座りながら他の家庭の子どもや親御さんも観察しているのですが、その中にひときわ熱心に自身のお子さん(女の子)を見守っているお父さんがいます。ベンチから、プールの反対側で泳ぐ娘を、双眼鏡(?)を使って見ていて、しきりに手を振っています。おそらくそのお父さんは、それでも自分を抑えているんだと思います。手の振り方がやや謙虚なので。自分の手を離れてプールで泳ぐ娘を心配する気持ちがあって、いつもどこか落ち着かない態度で座っています。
私は、ある程度厳しさもただよわせつつ、甘える環境にならないように子どもに接しているつもりなので、そのお父さん程べったりと長男に接していません。
これから生まれてくる子どもが女の子ではないので、落ち着かない様子で娘を見守るそのお父さんを、うらやましく感じます。
当然、嬉しさもあります。もう一度幼い子どもの子育てができる事に、ワクワクします。長男は日々変わっていき、赤ん坊の表情は、さすがにしなくなりました。昔の写真を簡単にスマートフォンで見れますが、昔の長男の写真を見ると、懐かしさと若干の寂しさも感じます。もう一度、あの頃の長男のような赤ん坊を抱けると考えると、ただただ感謝です。
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