子どもの非行防止には、抽象化思考が使える3つの理由
どうして抽象化思考で非行が素直に変わるのでしょうか。
間違っているのは自分ではないか
それは、「間違っているのは自分ではないか」と考えるようになるからです。抽象化思考で得られるのは視野の広さです。視野が狭い人は、自分の視野が狭いことに気づいていないことが、最大の問題点です。抽象化思考で自分の視野の境界にある壁を意識することができるようになれば、「その壁の向こう側にも世界が広がっているかもしれない」と考えることができるようになります。
「間違っているのは自分ではないか」と考えるのは、相手と対峙した際に「自分の見えていない世界が、この人には見えているのではないか」という所まで考えが至るからです。「間違っているのは自分ではないか」と思うからこそ、相手や状況に応じて柔軟に変化できる素直さに繋がるのです。
例えば、自分とは違った意見を持った人が目の前にいます。周りが見えておらず、「自分が正しい」と盲目的に思っている人は、決して相手の意見を聞こうとしません。狭い自分の世界を、世界の全てだと思っているので、その外に広がる世界の存在に気づく事ができないのです。
ですが「間違っているのは自分かもしれない」という考えが頭の隅にあれば、「とりあえず話を聞いてみようか」となります。もしくは、「どうして自分とは違う意見を持っているのだろう」と想像しようとする意識が働きます。
相手をわかろうとする気持ち、相手の心情を想像する心。相手の考えに興味を持つ事。それが「優しさ」や「思いやり」なのだと思います。何も相手を慈しむ心だけが優しさではありません。そんな暖かいものではなく、相手に対するただの関心。それが、子どもを非行から遠ざける出発点です。
もしかしたら、やや冷淡に聞こえるかもしれません。もしかしたら、シャカのような慈悲の心を優しさと思っている人もいるかもしれません。ですが、私は相手に対して注意が向く事が優しさにつながるのだと思っています。
私自身がそうでした。私は子どもの頃、周りから「優しいね」と言われる方でしたが、それは何も相手に対して「暖かく接しよう」としてのことではありません。ただ「もしかしたら間違っているのは自分の方かもしれない」と思うので強く言えないだけのことだったのです。
断絶しないで考えることができる
抽象化思考によって、自分と相手を断絶しないで考えることができるようになります。具体レベルしか見えていなければ、相手は相手、自分は自分と分けて考えてしまいます。「なぜ相手が自分とは違う考えを持っているのか。」「なぜ相手の価値観は自分とは違うのか。」「自分とは違う意見を持つその背景には何があるのか。」という所まで考えがまわりません。
抽象化思考ができるからこそ、自分と相手を同じ土俵のものとして考えることができるのです。「まとめて◯◯」、「要は◯◯」、「つまり◯◯」と、同じ立場の人間として見ることができるから、相手を拒絶することなく、分かちあおうとする意識が働くのです。
例えば、グループで行う作業があるとします。我々は、同じグループ内の人間とは協力して作業がしやすいのですが、違うグループの人間は競争相手と見なす風潮があります。内と外に分けて考える癖があるのです。
大人の世界でも、多くの企業や組織は線で分けられています。各部署ごとを隔てる横の線と、年齢や立場ごとに役割を隔てる縦の線です。確かにこの線は効率化という面ではメリットがあるのですが、それに縛られては全体を見る事ができません。
これらの線は対立をあおるので、線に慣れると盲目的になりやすいのです。「ウチの仕事はウチの人間で片付ける」「よそ者が口を出すな」「そっちの人間には関係ないだろう」などのセリフは、大人の社会でも頻繁に聞く言葉でしょう。
断絶しないで考えるとは、この線を柔軟に考えることでもあります。変える事ができない絶対的なものとして捉えるのではなく、状況に応じて柔軟に変える事ができるものとして捉えるのです。決して「ウチは他と違うから」で終わるものではないのです。
そもそも内と外を分ける線というのは、もっと上位の目的を達成するための手段であったはずです。「社会を良くする」など、組織の存在意義に関わるような目的を効率良く達成するために、縦や横に線を引いて部署や年齢ごとに仕事を分別しているのです。
優先されるべきは手段ではなく目的なのです。ですが我々人間は、形のない目的よりもはっきりとした手段の方に意識が行きがちです。手段の方を優先して考えてしまう癖があるのです。だから、普段から断絶しないで考える事で、ようやくフラットなのです。
寛容的になれる
抽象化思考によって、人は慣用的になれます。具体がはっきりとした現実的なものであるのに対し、抽象とは曖昧でモヤモヤした概念のようなものです。「絶対にこうだからああなる!」というはっきりした考えは、抽象化思考とは真逆のもの。抽象化思考で考えると、全ては状況次第なのです。
カメラのフィルターと同じで、人生も一歩引いて見ればどうなるかわかりません。だから相手を受け入れ、自分を相手に合わせる寛容さが生まれるのです。「どっちでもいい」「どちらも有り得る」という事です。
例えば、子どもは時間にルーズですよね。何回言っても時間どおりに生活なんてしてくれやしません。朝は起こすまで起きないし、朝ごはんはいつまでも食べているし、宿題だってやったりやらなかったり。それを注意する親を疎く思っていることでしょう。
そんな子どもに対して、我々親は「先が見えていない」「将来大変になることをわかっていない」「親の愛を理解していない」と考えます。「わかっていない子どもを正してやりたい」という思いが、フツフツと脳に湧いて来ます。
ですが、そもそも時間通りに生活することは絶対的に正しいのでしょうか。もちろん現代社会生活を営む上で、時間どおりに行動することは必要です。周りは時間に正確であると助かりますし、決められた時間どおりの人に対して信頼を寄せます。
ただ、それは時間から縛られてしまっていると言えるのではないでしょうか。本来、時間とは自分の側にあるはずです。自分の好み、性格、価値観を抑えてまで時間通り動くことは、果たして永遠に続く絶対的な常識なのでしょうか。おそらく違うでしょう。一時期、この時代だけにおける価値観のはずです。
だから、闇雲に時間にルーズな子どもを叱るのもどうかと思うのです。将来、どうなるかは変数が多すぎて予測が不可能です。時間通りの生活が子どもにとって幸せになるか不幸になるか、どっちに転ぶかわかりません。検証だってできないでしょう。
子どもを叱る、相手を否定する、自分の考えを押し通す、までして遣り遂げる事。絶対的な真理。そんなものは、おそらく在りません。寛容的でいいのです。ルーズでいいのです。一歩引いて抽象的に世の中を見渡してみると、どっちでもいい事ばかりです。
プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
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