児童虐待を防ぐために必要なものは何か

2018.03.07 (水)

児童虐待が全国で頻発しています。インターネットでニュース記事を開くたびに、児童虐待の記事が飛び込んできます。最近では、東京の目黒や群馬の高崎で児童虐待があった様です。生後数ヶ月の赤ん坊から未就学児を中心に、父親や母親から虐待を受け、死に至るケースも珍しくありません。

 

 

この様なニュースを見ると、「防げたのではないか」と思います。子どもが死という結果に至る前に、止められたのではないかと感じます。

 

 

兆候はあるのだと思います。目黒のケースでは、父親は今回の前に二度、今回と同じ様に傷害で書類送検されているそうです。近所の人も「あの家庭はどこか普通ではないのではないか」「あの父親は素行が悪そうだ」と感じていたものがあると思います。

 

 

公的機関である市役所や警察や児童相談所、それと近所を中心とした地域、児童虐待に関心を寄せる国民、それぞれに問題があるのです。問題とは、リーダーシップの不足です。公的機関、地域、国民、違う立場の人間それぞれに、リーダーシップへの理解が足りないのです。

 

 

公的機関はのリーダーシップを阻害しているのは縦割りです。浸透された上意下達が、現場のリーダーシップを鈍らせるのです。例えば、虐待をしている人間と直接に相対するのは組織の下の人間です。上の人間は、事務所にいるのが普通です。「現場に出ろ」というのではありません。最前線にいる下の人間のリーダーシップを尊重するべきなのです。

 

 

最前線にいる人間は、即断でベストな回答を求められます。即断は仕方がありません。ですが、その時点でどれがベストな回答かはわからないのです。どっちに転ぶかは、後になって見ないとわかりません。フィフティーフィフティーです。ですが、悪い方向に転がった場合、後出しジャンケンで決断をとがめられるのです。

 

 

目に見えるとがめがあるのではありませんが、プレッシャーとなってのしかかるのです。どうしてそのような決断をするに至ったのか、時間との整合性を持って求められるのです。プレッシャーは国民から公的機関、公的機関のトップからボトムへと流れ、その度に大きくなります。ボトムとは、最前線の人間です。

 

 

それは、最前線での決断を鈍らせます。人間は易きに流れるからです。どんなにモチベーションを高く持っていても、ほんの少しモチベーションが鈍っただけで、あとはどんどん決断しないほうがいい理由が頭に浮かんできます。最前線で決断するには、神経を針のように尖らせていなければなりません。

 

 

ですがほんの少し、針の先が鈍っただけで、あとは転がるように、安易な方向に思考が働いてしまうのです。「やらないほうがいいんじゃないか」「しないほうがいいんじゃないか」「そっとしておくのがいいんじゃないか」と。

 

 

おそらく公的機関は、自分の組織の人間の決断の鈍りを否定するでしょう。国民から聖人君子であることを求められ、それに答えようとしているため、針の先端は鈍ることがないといい続けるでしょう。ですが、常に針の先を尖らせていられる人間などいません。人間である以上、針の先は鈍るのです。

 

 

そして周りの人間のリーダーシップのなさも、針の先を鈍らせるのに拍車をかけます。「それは自分たちの仕事ではない」という人任せな対応です。何かをしようとすれば、ある程度の不利益は当然です。ですが多くの人が、不利益なしに物事をなしと得ようとしています。

 

 

不利益とは大抵、想定外のものです。なのに、想定内の不利益はおっけーだとしても、想定外の不利益には途端に拒否反応を示す人が多いのです。それもまた、公的機関のリーダーシップを阻害するのです。リーダーシップに対すり理解の不足なのです。

 

児童虐待を防ぐために必要なのはリーダーシップ、とりわけリーダーシップへの理解です。

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