子どもが最も輝く場所とは
子育てにはジレンマがあります。それは、大人が子どもに「尽くそう」と思えば思うほど、子どもから輝きが失われていくというものです。大人にはゴールが見えていて(たとえ錯覚であったとしても)、ゴールに子どもを早く近づけたいがゆえに、子どもの背中を押そうとするのですが、その子どもの背中を押す行為が、子どもの子どもらしさを曇らせるのです。
子どもの強みは笑顔であり、裏表のない表情であり、素直さ、無邪気さ、初々しさです。何事にも真っすぐで、失敗を恐れないで突き進みます。失敗を失敗と考えないので、常に面白おかしく物事を捉えて笑っていられます。相手をおとしめてやろうという邪気がないので、大人であればNGでも、子どもであればオッケーです。
そんな子どもの強みにひかれて、大人は子どもに尽くそうとします。多くのことを差し出し、あらかじめ用意しようとするのです。将来のゴールに向かって最短距離を進めるよう、道を指南します。ですが指南した途端、その道は子どもにとって進むべき道でなくなります。
子どもが自分で見つけたのであれば、進むべき道であったかもしれません。ですが大人から支持された途端、それは進むべき道ではなくなるのです。
結局は、子ども自身が自分で見つけて自分で作らなければならないのです。子どもの強みが一番輝くのは、子どもが自分で見つけた瞬間、自分で決めた瞬間、素直になれた瞬間です。大人から与えられたものでは、子どもは十分に輝くことができません。誰かから促された感情で素直になれないのは、子どもでも大人でも同じです。
オモチャで無邪気に遊んでいる子どもに対して、オモチャに代えて本物を与えようとした途端、その無邪気さは失われるでしょう。子どもが自分で本物にたどり着くのであれば構いません。本来であれば、それが子どもと大人、双方にとってウィンウィンなのです。
だから、与えてはいけないのです。はやる気持ちはわかります。子どもの強みを消したくない気持ちもわかります。強みを伸ばしてやりたい気持ちもわかります。ですがそれは、子ども自身が自分で見つけるから強みであり、光り輝くのです。
「子どもの居場所づくり」という言葉を聞いたことがありますが、おかしな言葉です。大人が用意した居場所は、子どもにとっては居場所ではないのです。子どもに居場所がないと思い、大人は居場所なるものを作ろうとするのですが、大人の手が加わった途端、それは子どもにとって居場所ではなくなるでしょう。大人の手が加わった「子どもの居場所」は、子どもにとって居場所とはなり得ないのです。
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