忘れることは、抽象化の一つである〜警察官千葉とうしろうの「ねらい目」

2018.12.05 (水)

「子どもが学校に通う事にこだわる必要はないよ」という内容です。

 

例えば外で遊ぶのが好きな子どもがいたとします。その子どもは、体を動かすのが好きで、外で友達とワイワイやっているのが楽しくて、ボールを投げたりするのも心地よくて、そんな遊びをずっとやっているような子どもです。

 

 

その子どもの中には、純粋な楽しさがあるんです。それっていうのは「何をするのが楽しい」ってハッキリと分かるものではありません。ただなんとなく、そんな遊びをしているのが楽しいだけです。

 

 

で、そんな子どもを見て大人は思うんです。「そうだ、この子に野球をやらせよう」と。で、その子供は野球というスポーツを覚えていきます。野球ボールを投げることが多くなりました。子どもは野球ボールに詳しくなります。

 

 

「なるほど、こうすれば野球ボールは遠くまで投げられるのか」「こうすれば思うところに投げられるのか」と、野球ボールに関しての興味が高くなります。

 

 

スイングの仕方も教えられます。「なるほど、バットはこうして降るものなのか」と、バットの振り方を教えられて、その通りに練習する日々です。

 

 

外で遊ぶことが好きだった子どもは、周りの大人から色々と教えられます。「ボールの投げ方はこう「バットの振り方はこう」「野球のルールはこう」「チームワークはこう」「ボールの捕り方はこう」と。

 

 

そして思考回路も野球少年らしくなります。「大きくなったら甲子園に出たい」「大きくなったらプロ野球選手になりたい」と。

 

 

この少年の変化は、好ましいものでしょうか。それとも好ましからざるものでしょうか。もしかしたら、「いい変化なんじゃないの?」と疑問にすら思わない人もいるかもしれません。ですが、この変化は具体化なんです。

 

 

もともと漠然とした「好き」とか「楽しい」っていう感覚に、具体的な野球っていうものを当てはめて形あるものにしていった結果なんです。型にはめる、というか、枠にハマる、というか。もしかしたら、塩の子どもが本当に好きだったものは、野球に当てはまらないものだったのかもしれません。野球に当てはまらないもの、野球とは似ていて別のもの、だったのかもしれないですが、それを枠に当てはめた結果なのです。

 

 

この抽象から具体への変化に問題があるとしたら、「既存のものをなぞっているに過ぎない」ってことでしょう。モヤモヤとした抽象的なものを、自分で形あるものにしていっていないんです。与えられただけ。与えられたものを「自分が好きな対象」であると勘違いしただけかもしれません。まあ、それはその子どもにしか分からないことですが。

 

 

忘れることが抽象化だとしたら、学ぶことっていうのは具体化なんです。モヤモヤとした純粋な、形のないものに、明確な答えを無理に当てはめていくもの。それが学ぶことです。もちろん、学ぶことのメリットは大きいでしょう。

 

 

形あるものになることで、モチベーションは上がるし、周囲に伝わりやすくなります。ですが忘れてはならないのは、具体的なものは表面的であって、そこに本質は現れないってことです。

 

 

世の中は抽象的なものよりも具体的なものの方に流れていきます。人の関心も、抽象的な分かりにくいものよりかは具体的な分かりやすいものです。だから私たちは具体的なものに心を奪われがちなのですが、それが表面的であることを忘れてはいけません。

 

 

具体的なものは、本質を一方向から見た偏った見方をしている状態です。一形態でしかないのです。本質をあらわす一形態、それが表面的な具体です。

 

 

例であげた少年も、好きなものはモヤモヤとした外で遊んだりものを投げたりして体を動かすことだったはずです。それに対して、具体的な野球っていうものを与えたのです。だから、例え野球に没頭しても、それっていうのは視野が狭くなっている状態であることを忘れてはならないのでしょう。

 

 

学ぶことは具体化です。学校の勉強も、学校で身につくと信じられている社会性も、全て一方向からの見方でしかありません。そればっかりにとらわれていると、視野の広さを失います。本来、社会っていうのは学校の枠にハマるほど狭いものではありません。学校の枠に収まりきらないほど広いもののはずです。

 

 

学校は、思っている以上に子どもの視野を狭くします。何十年もずっと変わらない慣習や勉強方法や建前。それらをずっと守り続けているということは、それだけ変わっていないってことです。もし、学校っていう枠にとらわれずに成長することができれば、それは学校で学ぶこと以上に広い世界を見ることになるでしょう。

 

 

学校で学ぶ子がほとんどの日本で、もしも学校の常識に縛られない子どもがいるとしたら、それだけで大きなアドバンテージになります。

 

 

学ぶことは具体化です。「本当は●●だった」を枠にはめた、型にはめた、一方向からの見方です。そこに本質はありません。はっきりしたもの、分かりやすいものにとらわれない事が、本質をつかむ方法になります。

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