なぜ警察に理想を求めてはならないのか

2017.09.19 (火)

政治家、議員、トップアスリート、公務員、芸能人、企業や組織の役員…。

 

 

これらの有名人、社会的に身分のある人たちは、ある種のリスクを背負って生きています。それは、「理想を求められる」というリスクです。

 

 

彼らは、社会から「政治家であれば、このように振る舞わなければならない」「議員であれば、このような言動はしてないけない」「芸能人であれば、このように対応するべき」というプレッシャーを常に与えられながら仕事をしています。

 

 

そして、これら人々の中には「警察官」も含まれます。我々は警察官にも、他の有名人と同じように人間としての理想を求めます。

 

 

確かに警察官も公務員であり、模範となるべく、見られている職業です。ですが、私は警察官にだけは、理想を求めてはいけないと思うのです。なぜなら警察官に理想を求めることは、社会の治安の悪化を招くからです。

 

 

理想を求めると、動きにくくなるのです。社会の理想を求める圧力は、思いの他大きいものです。「こうあるべきだ」と求められるとプレッシャーを感じ、思った行動を取りづらくなるのです。

 

 

治安を守ることとは、市民の嫌がることをすることに他なりません。多くの市民の中から悪人を捕まえるわけですから、常に市民に対して疑いの目を向けなければなりません。疑いの目を持たなくては、市民の中から悪人を見つけることができないのです。

 

 

ですが、疑いの目を向けられることを好む市民はいません。たとえ警察官からでも、人から疑われることで快を感じる人はいません。誰でも疑われたら不快を感じるはずです。

 

 

そうすると市民は、疑いを向けて人を不快にさせる警察官を拒否するようになるのです。人を不快にさせるという理想から外れている警察官にプレッシャーを与え、人に不快を与えないように求めるのです。「警察官なのに人を疑うのか」というプレッシャーを与えるようになるのです。

 

 

警察官がプレッシャーによって行動を制限されることは、治安の悪化に繋がります。思い切った行動がとれなくなり、萎縮した対応しかできなくなるからです。

 

 

「優しい」「対応がいい」「笑顔」とは、市民が警察官に求めるものですが、これらは警察の本来の業務である「疑う」こととは正反対の行為です。市民に求められる振る舞いをしていては、疑うことができなくなり、悪人を捕まえることができなくなるのです。

 

 

警察は、見た目で悪人がわかるわけではありません。会話などのやりとりの中から違和感を感じて、悪人を見つけることができます。

 

 

池に石を投げると波紋が広がります。同じように警察は、相手に会話を投げかけるのです。投げた会話に対して返ってきた、表情、動き、返答などを敏感に感じ取り、悪人を見つけるのです。

 

 

疑うことを封じられれば悪人を見つけることができなくなり、治安は悪化するでしょう。

 

 

確かに警察以外の有名人であれば、彼らに理想を求めても失うものはありません。むしろ彼らの影響力を考えると、彼らが理想のように振る舞うことは社会にとってプラスかもしれません。

 

 

ですが警察に対して理想を求めることは、社会の悪化につながります。警察に理想を求めることは、リスクが非常に大きいのです。

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