「非行」と「非行の兆し」は何が違うのか
私は「非行の兆し」という言葉を、「非行」よりも範囲の大きい言葉として使っています。それは、「非行」と言った場合、範囲が明確に定められてしまうからです。
「非行」という言葉を使うと、「どこからどこまでが非行でそれ以外は非行ではない」と範囲が定められてしまいます。少年法には「非行少年」として明記されています。それによると、
(1)犯罪少年
罪を犯した(刑罰法令に触れる行為をした)、14歳以上20歳未満の少年
(2)触法少年
刑罰法令に触れる行為をした、14歳未満の少年
(3)ぐ犯少年
保護者の正当な監督に服しない性癖があるなど、一定の事由があって、その性格又は環境から判断して、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をするおそれのある少年
の3つを、非行少年というらしいのです。「非行」とは、非行少年の行いのことです。しかし、このようにはっきりと線引きされた「非行」では、私が改善したい子どもの特癖について、うまく言い表せていません。
私が改善したい子どもの特癖は、中学生や高校生よりももっと小さい小学校低学年くらいの子どもの、非行になるかどうかの行為です。非行につながるような、非行の前段階としての予兆。中学生や高校生のような、考えがしっかりと固まってきている子どもの行為ではなく、善悪の分別もこれから身につけるような幼い子どもの行為なのです。
そのような行為は、法律的に言えば非行にはなりません。法律的には、非行か非行でないかは明確に区別するべきものであり、非行と認められるためには、一線を越えなければならないのですが、私が改善したい行為は、一線を越えているかどうかわからない、どちらかと言うと越えていないような行為です。
非行だけど非行でない、もっと曖昧なもの、非行の方向だけどはっきりとは非行と言えないもの。そういう意味で私は、私が改善すべき行為を「非行の兆し」と呼んでいます。
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