メイクは「有る」のか「無い」のか禅問答。林真理子のエッセイは天才だと思う

2020.12.25 (金)

林真理子のエッセイを読んでいると、大学時代の時の友人の1人を思い出す。

 

 

その友人は女性なのだけれど、僕は彼女がずっと化粧をしていないものだと思っていた。周りにいた女子大学生の多くはそれとわかる化粧をしており、化粧をしていることに対する後ろめたさはまったく感じられなかった。

 

 

化粧は本来、肌の悪さを隠すためのものだと僕は思っていたので、化粧は「もう若くはない」ことの表れだと思っていた。でもって、そんなあからさまな化粧をしている女性が大学には多かったので、「大学生とは、特に女子はそんなに若いものではないのだな」と思っていたのだ。

 

 

化粧をしている大人ぶった女子大学生がたくさんいる中で、彼女は子どもっぽいキャピキャピした雰囲気を持っていて、その雰囲気が可愛かったのだ。肌の質感も生来のもののように思えた。

 

 

そんな彼女が、実は化粧をしていたのだと、他の女友だちから聞いたときは驚いた。

僕 「えっ、〇〇って化粧してるの?」

他の女友だち 「そうだよ、知らなかったの? ナチュラルメイク」

僕 「ナチュラルメイクって……」

 

 

ナチュラルメイクというワードをその時知ったのだけれど、あからさまに化粧をしているようには見せない化粧のこと。間違いなく化粧はしているのだけど、化粧に対する「作り物感」を極力排除した作り物。手の加えられていない、自然な創作物、ナチュラルな生来の肌を演出する方法だ。

 

 

その時に「なるほど『女はわからない』とはこのことか」と思った。「有る」と「無い」とを同居させる高等技術。確かに化粧をしているのだけれど、していないように見せている。有るのだけれど無い。仏教の禅問答のようだ。

 

 

あからさまに「有る」を見せつけるのと違って、嫌味がない。押し付け感がない。けれどその「嫌味がない」や「押し付け感がない」すら狙っていることなのかもしれないというわからなさ。

 

 

有るのか、それとも無いのか。無いことの裏に本当は「有る」が有るのではないか。それとも本当に「無い」のか。そんなナチュラルメイクの妙を、林真理子のエッセイには感じられる。

 

 

というのも、林真理子のエッセイはとてもナチュラルだ。「自分の良さを見せよう」という嫌味がない。本人に会ったことはないけれど、実際に会ってみてもおそらくサバサバした性格なのではないか。そのサバサバ感がそのまま文章に表れている。居心地がいい。

 

 

なんとなく、ごくごくなんとなくではあるのだが、この文章を書いている林真理子の姿が想像できる。勝手な想像ではあるのだが、コタツに入ってみかんでも食べながらペンを走らせているのではないか。頬杖でもつきながら。決しておしゃれとも言えない普段着を着て。「この後、何を食べようかな」のようなくだらないことを考えながら。

 

 

そんなダラシのない、飾り気のない様子が文章から想像できるのだ。

 

 

けれどそれは、「そう見せているだけなのでは」とも思う。もしかしたら僕は林真理子の術中にハマっているだけなのかもしれない。林真理子は読者に「林真理子は飾り気のない文章を書く」と思わせたくて、そういった文章を書いているだけなのかも。というか、おそらくそうだろう。

 

 

大学の時のナチュラルメイクをしていて友人のような、作っていない感を出した作り物。「ワザとらしさを省いた感」をワザと出している演出。それが林真理子の文章の心地よさなのだ。

 

 

一緒にいて居心地のいい女性に似ている。あまりにキレイな女性だと、こちらも等身大の自分を出せなくなる。自分もカッコつけるようになってしまって、自然に振る舞うことができない。レベルの高い相手に合わせようとして、自分も見せようとしてしまう。その結果、ナチュラルな自分を出せずに疲れて居心地が悪くなる。

 

 

綺麗でレベルの高い女性には確かに憧れるのだけど、そんな女性と一緒にいて気持ちが落ち着くはずはない。一緒にいて落ち着く女性はあくまでも自然な女性なのだ。

 

 

文章を書くとは、自分を掘り下げる作業だ。油断するとすぐに脚色したくなる。キーボードでキーを打ちながら文章を連ねていくのだけれど、自分の気持ちや内面を表そうとしてすぐに頭に思い浮かぶのは、世の中で一般的に言われている表現だ。使い古された表現。その表現は、他の誰かのために、他の誰かによって作られて、他の誰かが散々使った表現だ。決して僕を表すための表現ではない。

 

 

社会に広く受け入れられた表現だからこそ、すぐに頭に浮かんでくる。そういう言葉を使っていると、読んでいて恥ずかしい文章になってしまうのだ。自分に似合わないブランド物のバッグを肩から掛けているような。自分を偽って見せていて、その偽りがにじみ出ているような。

 

 

だから、「真に自分の気持ちを表してくれる言葉は何なのだ」と文章を作っていく中で自問自答を繰り返す。少しでも背伸びした文章を書いてしまうと「自分ってまだまだだ」と自己嫌悪になって苦しくなる。

 

 

そういう文章を作る過程を知っていると、林真理子の文章が本当に羨ましくなる。「自分もこんな文章を書けたらな」と思う。

 

 

一見、脚色が無いように思えるけれど、そんな読者の気持ちを見越した脚色が、本当の林真理子の脚色なのかもしれない。あるいは本当に脚色など無く、真に素の気持ちを書いているだけなのかもしれない。「有る」のか「無い」のかわからないナチュラルメイクの妙。ナチュラルライティングとでも言える妙。林真理子の文章を読んでいて思う。

 

 


 

 

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