非行の専門家のコラムとはどのようなものか

2016.07.08 (金)

コラムを書くにあたって、いつも私が悩み気にしているいることがあります。それは「いかに本音を書くか」です。「本音で書かれているか」がコラムを作成した後、投稿するかどうかの判断基準になります。

 

確かに「本音を書くこと」以外にも、コラムを書く際の悩むポイントは多々あります。

話の種はどうしているのか。コラムを書く時間はあるのか。ターゲットを意識しているのか、などなど。

 

しかし「いかに本音を書くか」に比べると、これらのポイントは大した悩みではありません。「いかに本音を書くか」という問いはコラムを書くに当たって、いつも私を苦しめます。

 

書きたいコラムネタが決まって、それについて書き始めても「自分は本当にこんなこと思ってるのか」と思い、キーボードを打つ指がよく止まるのです。「何かの本の受け売りではないのか」「建前でそう思っているだけではないのか」「無難な一般論を書いているだけではないのか」などと思い、自信がなくなるのです。

 

というのも、本音が書かれていないコラムには、あまり意味が無いのではないかと思うからです。

 

理由はいつくかありますが、まず本音でないと文章に説得力がありません。受け売りの文章はどこか内容がよそよそしく、宙に浮いている感じです。地に根をはっているような重みを感じません。

 

私のコラムは自分で実施した世論調査やビッグデータを利用した根拠を示しているわけでもないので、文章に説得力を持たせるとしたら自身の経験しかないはずです。そこで一般論を書いては嘘を書いているようなものであり、説得力も何もありません。

 

次に、おそらく読者は執筆者の本音を読みに訪れるということです。私はある人のメルマガが好きで購読していますが、そのメルマガに書かれているのは、執筆者その人の私見です。そのメルマガの執筆者は「今日も私見たっぷりに書きます。」という内容ですし、そのメルマガのQ&Aコーナーでは読者から「◯◯さんの私見をお願いします。」というQをよく見掛けます。

 

おそらく一般論を知りたい人は、もっと他に公的なデータを載せたサイトがあるので、そちらに行くはずです。私のコラムを読みにわざわざ来る人がいれば、それは私見を読みに来る人だと思うのです。

 

そして最後に、人生の大一番でまで建前を言いたくないということです。コラムを書くことやその先にある道程は、少なからずある意味リスクです。それでも続けるのはこの先に人生の大一番が待っているからであり、それをうまく乗り越えれば川を挟んだ向こう側に渡れるかなと思うからです。そんな人生をかけた大勝負に、建前でのコラム執筆はないと思うのです。

 

コラムを執筆する際は、「いかに本音を書くか」の部分でいつも悩みます。ですので、オブラートの厚さに違いはあれど、投稿されたコラムはすべて私の本音で書かれたものです。

 

弱気や誘惑に負けず、今日もコラムに本音を載せられるようにしたいと思います。

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