自分を表現する際の不安あるある3つ
表現活動って、不安との闘いですよね。螺旋階段の様に同じところをぐるぐるグルグル。足を進めたり、だけど不安になって引き返したり。そんな不安あるあるを3つに整理しました。
今現在、自分を表現している方で共感してくださってもいいですし、これから自分を表現していこうと思っている方も、心の準備程度にしてただければと思います。
◆周りの目が気になる
表現活動をする上で一番の足かせはこれでしょう。周囲の人の目線、発信したものを受け取った人の評価。「あの程度のレベルで、よく発信できるよ」という声への不安。実際に反応がない状態でもこれだけ重圧を感じるので、実際にけなす様な反応を受け取って炎上してしまって、それでも発信を止めない人たちは凄いとしか言いようがありません。
まさに螺旋階段です。行ったり来たり。「発信しようかな、でもやめようかな」というところを行ったり来たり。だから、「いいね」がプレッシャーになったりします。むしろ何の反応も得られない場所で発信している方が、プレッシャーを感じなくて楽だったりします。
◆自分は何か間違ったことをしているんじゃないか
良かれと思ってやっているんです。「自分が発信することで社会が正しい方向に行くだろう」「自分が発信する先に幸せがある」「自分の家族にも社会に生きる人たちにも、その方が有益だ」と考えているからの発信。時間を使って、お金を使って、エネルギーを使って発信しています。
だけど、その考えが時々揺らぎます。自分がやっている事は、ただの浪費なのではないかと。発信する先の未来にあるものに対して懐疑的になるのです。「自分は間違ったことをしているんじゃないか」という、歩いている道幅が暗く狭くなる様な不安。
◆自分の本心か?
「この発信内容は自分の本心なんだろうか」「誰かの受け売りではないのだろうか」「自分は本当にわかって言っているのだろうか」と不安になります。もちろん、百パーセントのオリジナルなんてあり得ません。少なかれ多くの人から影響を受けての発信です。ゼロから作ったものなんてないだろうし、そうである必要もありません。
ですが自分の本心でないことは、土台が揺らぎます。本心の度合が薄いと、言っていることが乱れますし、自身がなくなります。「発信の意味があるのかな」と発信の存在意義を疑う様になるのです。あからさまに売れている本の受け売りだったら、恥ずかしいですしね。
いかがでしたか?自分を表現してさらけ出すことは、不安との隣り合わせです。表現者が不安と闘って打ち勝っているから、世の中に作品という表現活動の結果があるんですよね。
関連する投稿
- 日本語文章を書く際の注意点とは。AERAのムックで大御所連中が言っていたこと
- 親は教育ハラスメントに気づくべきだ。9年浪人するという妄信
- 岸辺露伴から教わったリアリティーの話。文章と言葉に説得力を持たせる方法
- 権威の否定。プロとして仕事をするよりもアマチュアの方が尊いという話し
- アドバイスでなくてユーモアを提供しよう
現在の記事: 自分を表現する際の不安あるある3つ