優しさとは、想像力である

2019.12.12 (木)

子どもが非行に走るのを防ぐには、優しさが必要である。犯罪にしろ非行にしろ、それらは人に対するイライラや不寛容からうまれる。社会から犯罪や非行をなくすには、イライラや不寛容の反対側に向かわなくてはならないのだ。イライラや不寛容の反対側、すなわち、優しさや寛容さである。どうやって優しさや寛容さを育んだらいいのか考えることが、犯罪や非行をなくすことなのだ。

 

 

優しさや寛容さとは、想像力である。優しさや寛容さは、自分のことばかり考えていては身につかない。自分以外の他人の視点が必要なのだ。が、そんなこと、どうやって実践すればいいのだろう。だってそうじゃないか。自分を離れて、他人の頭の中に入ることなどできっこない。精神だけが肉体から離れて、相手の頭の中に入ってみることなど、現実にはできないのだ。ではそうしたらいいのか。相手の視点に立つことなどできないのか。

 

 

そんなことはない。想像があるじゃないか。現実には相手の頭の中に入ることなどできなくても、そこは想像力でまかなうのだ。

 

 

優しさや寛容さとは、想像する力、とも言える。自分のことばかり考えていては、人の気持はわからない。相手の身になって考えることが必要だ。それは、自分から離れることでもある。今ここにいて、世界を見ている自分。自分の視点。底から離れて、相手の視点に立つことが必要なのだ。相手には世界はどう見えているのか自分がしようとしていることは、相手からはどう見えているのか。そんな事を想像する力が、優しさや寛容さなのである。

 

 

相手の視点を想像すること、相手の身になって考えることのヒントとして、共通点を見つけることをお勧めする。自分と相手の共通点だ。たとえば、「あいつも自分と同じように苦労しているんだよなあ」とか。そうすれば、相手がぶつかっている壁や、相手が直面してる悩みを想像しやすくなるだろう。

 

 

大事なのは、「どこか似ているな」と、なんとなく親しさを感じることだ。親しさを感じると、共感しやすくなる。共感できてしまえば、相手に対するイライラもなくなるだろう。仲が良くない人に対してはイライラしやすいが、仲がいい人に対してはイライラ自体が起きないだろう。同じことをされていも、仲がいい人にはイライラしないし、大して知り合いでもない人にはイライラしやすいものなのだ。

 

 

たとえば満員電車に乗っていて、後ろに立っいた人からぶつかられたとする。どう思うだろうか。「なんだよ、ちゃんと立っていろよ」と思うだろう。が、もしも相手のことをよく知っていて、「足が悪くて立つことがしんどい」という事情がある事をわかっていれば、「なんだよ、ちゃんと立っていろよ」などとは思わないだろう。

 

 

相手と仲良くなって、親しい存在であれば、イライラしないのだ。で、どうすれば親しい存在になれるのか。それは共通点を見つけることだ。よく知らない人がたくさんいる集まりに出席したとして、どうすれば親しい人を作れるだろうか。おそらく、共通項がある人を探して、話ができる人を作ろうとするのではないだろうか。話ができる人とは、近しい人であり、それは共通の話題を持っている人なのだ。同じ趣味、同じ出身、同じように子どもがいる、同じ業界で働いている。そんな、共通項を持つ人を探すだろう。相手に対して優しく接したり、寛容さを持って接したりするには、仲良くなるのが手っ取り早い。仲良くなるには、共通点を見つけること。

 

 

共通点を見つけるには、明確に「これ」という共通点を見つけてもいいのだが、想像で共通点を見つけてもいい。というか、現実的には、本当に同じかどうかわからない。同じであると仮定して仲良くなったりすることがほとんどだろう。仲良くなるには、共通点を見つけるには、相手に対して優しく接するには、想像力が必要なのだ。

 

 

想像力を鍛えるには、現実的なことよりも、非現実的なことに目を向ける必要がある。今ここにあるものを想像しても、それは現実にあるものなのだから、想像にはならない。今ここに無いものを思い浮かべる事が必要であり、現実から離れれば離れるほど、それはより想像力の必要なものとなる。視点も同じだ。自分とは近しい人の頭の中を想像するのは簡単だが、自分とは離れた立場の人の頭の中を想像するのは難しい。

 

 

アメリカ大統領の気持ちとか、中東でテロをしている人の気持ちとか、南米の貧民街で暮らす子どもの気持ちとか。対象が自分とは離れれば離れるほど、気持ちを想像するのは難しくなる。が、これらの自分とは離れた人でも、もしも共通点を見つけることができたなら、途端に親しい人になるだろう。

 

 

どこが自分とは似ているのか。それを想像するには、自分から離れることである。自分から離れて、一歩上から全体を見下ろすような視点。俯瞰の視点が必要だ。そうすれば、自分とは離れている人でも、一つの括りの中に見ることができる。同じカテゴリーの人間として見ることができるのだ。

 

 

子どもの非行を防ぐには優しさが必要であって、優しさとは想像力なのだ。自分ではない、自分とはかけ離れている人の視点に立つことだ。

 

 

 

 


 

 

 

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そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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