非行や児童虐待も、救うのは民間のアイディア
子どもの非行の理由に、児童虐待があります。
児童虐待で幼い子どもが亡くなるニュースが、世の人々の関心をひきつけます。最近、厚木市であった齋藤理玖くんのニュースを見て、私も心が突き刺さるような気持ちを感じました。
「父親が唯一のすがるべき存在だったにも関わらず、長男は暗闇でゴミに埋もれた異常な環境のなか、極度の空腹で死亡しており、その残酷さは想像を絶する」などと述べた裁判長の言葉が心にしみます。
よく「児童相談所をはじめ、行政は何をしていたんだ。」という声を聞きます。「児童相談所などの行政機関が積極的に事件に気づかないといけない。」と。
でも、「しっかりしろ。」と行政のお尻を叩くだけでは、児童虐待はなくなりません。行政がこれら児童虐待の家庭を見つけるのには、限界があります。
それは、これだけネグレクトや児童虐待が世間で騒がれ、人々の関心を寄せ付けていても、それでもなお、児童虐待に関心を持たない人たちが世の中には多いからです。
行政機関の人間が「児童虐待の家庭を見つけるため、ご協力を。」といっても、扉を開けない家庭がたくさんあるのです。そのなかには、実際に児童虐待をしている家庭があるかもしれないし、そんなことしておらず、単に協力精神がないだけの家庭もあります。疑いがあるということで、必要以上に家庭に踏み込むことは、今の日本ではできないことです。
行政が家庭に踏み込むことができないのには、法律的な理由と、社会風潮的な理由があります。
法律的な理由とは、国民一人一人に権利があるということです。法律で人権が守られている以上、国民が「協力したくない」と言えば、行政はそれまでです。
社会風潮的な理由とは、日本全体にただよう、積極性のなさです。これだけ世間で児童虐待がさわがれていても、実際には「自分は巻き込まれたくない」と思っている人たちが大勢いるのです。行政の人間が「児童虐待の疑いの通報がありました。」と言って家庭内を確認しようとしても、「証拠を見せろ。」、「うちは関係ない。」などと言って、結局はみんな捜査に協力したがらないのです。
国民は行政に、厳格な法の遵守を求めており、柔軟な対応など求めていません。行政は拒まれれば、法律的にも社会風潮的にも、それまでなのです。
ですから、私は行政に頼らない、民間の柔軟な姿勢が児童虐待を救うと考えています。行政には権限がある分、それだけ融通が利かない部分があるのです。児童虐待を救うには、行政などの法律に基づいた固い組織ではなく、柔軟な対応ができる民間のアイディアです。
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