非行の不安を晴らすための活動とは

2017.01.03 (火)

最近、「賭ける」という言葉にはまっています。

 

何かに人生を「賭けている」。

人生を過ごすエネルギーを、何かに「賭けている」。

人生を犠牲にして、より多くのリターンを得られるであろう何かに「賭けている」。

 

「賭ける」には、非常に強い意思の表れを感じます。一生懸命さを感じます。そこにはギャンブルの様な不誠実さは感じません。

 

「賭け」であるから、賭けた先にあるリターンは確実ではありません。もしかしたら、望んだくらいのリターンはないのかもしれません。リターンを得るには、もっとはるかに多くのチップを差し出さないといけないのかもしれません。

 

望んだリターンが得られないのに賭けるのは、賭けた先にある未来が、とてもまぶしく見えるから。羨望の眼差しを向けざるを得ないから。自分もそこにたどり着きたいと切に願うからです。

 

確かに犠牲は痛いです。犠牲とは、例えば夢の話をした時です。手に入れたい夢の話しをするときは、相当な覚悟をして言っています。自分が打ち込んでいるものを人に話すと、大抵、バカにされるか 誤解されるからです。

 

「だってそこまでの魅力、お前に感じねえんだけど」

 

「ヤバイものにはまってんじゃないの?」

 

でも、夢の話をした相手のバカにした眼差しや誤解さえも、確実に、夢へ近づくためのフィードバックになります。だから覚悟を決めて話しているのです。

 

おそらく差し出しているものが私には足りないのでしょう。夢に近づくため、まだまだ賭けは続きます。

 

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