子どもが時間を無駄に過ごすのを、いかに許す事ができるか〜数の悪魔
数学っていうのは、確かに不思議で魅力的です。1や23を始め、17や345や1756など、膨大な数の海の中から、ふとした瞬間にある一定の規則性が現れます。「第7夜 パスカルの三角形」のところは正にです。ただの乱雑な数が並んでいるブロックのピラミッドの中に、「偶数」や「5で割れる数」の切り口を当てると模様が浮き出ます。
それに、普段何気なく見ている風景の中に、知らなかった規則性が現れると「本当に?」「どうして?」と取り憑かれます。「第10夜 雪片のマジック」がそうです。平面図形はどんな図形でも「点+面−線=1」になるそうです。日常に隠れた数の不思議ですよね。
でもそういうことを考えていると、時間がいくらあっても足りません。現実的にやらなければならない事がいくらでもあるからです。買い物にいかなければならないし、仕事もあるから寝なきゃならないし、子どもの相手をしなければならないし。ですから、こういう数の魅力を追求する事っていうのは、よほど時間に余裕があるか、それかよほど取り憑かれでもしない限り、追求できないですよね。
机の上でペンとノートを使ってどこまでも計算したり図形を描いたりして過ごすのは、そりゃあ頭の中はフル回転でも、現実的には何も進みませんから。
数学に取り憑かれ見せられた人というのは、本書に出てくる数の悪魔のような人なのでしょう。おそらくこの数の悪魔とは、数学好きという設定なのだと思います。「ホップする」という表現を使ったり「ゼロは素晴らしいが1はもっと素晴らしい」と言ったり、数を感覚的にとらえられる所が、「私のような数学嫌いだった人間とは違うな」と思いました。
私たちは子どもの生活を、ついつい効率性で組み立ててしまいます。「今日は時間があるから、まずはご飯を食べて、それから宿題をやって。今日の習いごとは●●だと●時間くらいだから、その後●●をして。」などと、無駄を排除するような時間割にしがちです。
そうすると、この数を考える時間(数の魅力に取り憑かれる時間)というのは排除されざるを得ません。一見、何も生み出さないこの数を考える時間は、効率的な時間割の前では邪魔でしかないからです。机に向かって一日中「点+面−線=1」を試していても、目に見えるはっきりした成長はありません。
それよりも、「英会話で外国人の先生と話す」とか「計算問題をひたすら解く」ほうが、親としては嬉しいものです。やった成果がわかりやすい形で現れあたり、残るからです。
ですが将来、社会でオンリーワンの存在が求められる事が本当なのであれば、効率性を気にしない生き方で子どもを育てるべきなのでしょう。それは「いかに無駄なことをやってきたか」という事です。誰もが戦略的に生きている中、いかに結果の伴わないことをやってきたか。そんな生き方がオンリーワンを作るのではないかと思います。
プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
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