非行に走らない家庭環境
子どもが非行に走らない家庭にするには、怒りの反対側にいることです。犯罪もそうですが、非行も怒りから生まれます。犯罪者、非行少年、交通違反者、ケンカ当事者。どの人たちも怒っています。どの犯罪の現場にも怒りがあります。警察官が仕事をしている時、犯罪の現場に行く時、そこにはいつも怒りがあるんです。
怒りの反対側を目指せばいい、ということになります。犯罪者、非行少年、交通違反者、ケンカ当事者、このどれもに共通するものは怒りなので、これらにそまりたくないのであれば、怒りの反対側を目指すべきだと思いうます。
怒りの反対側はどんな世界なのか。とりあえずは、優しさという言葉で表現できると思います。「怒り」の反対側としての「優しさ」です。でも優しさというと、誰かのために尽くしたり、献身的になったり、慈悲深い性格が必要だったり。一般的にはそんなイメージだと思うんですけど、僕はどちらかというと、寛容的っていうのが合っていると思います。
「優しさ」っていう曖昧でふわっとした言葉をもっと具体的にいうとどうなるか。僕のイメージでは「寛容的」です。
近代ヨーロッパの哲学者ヴォルテールの著書に「寛容論」というのがあります。この本は、カトリックとプロテスタントの対立を描いており、たとえ立場が違っていても、相手が間違っていると信じていても、相手を受け入れなければ、という内容です。多様性の中で共存していかなければなりませんよ、と。
そのとおりなんですよね。「間違った考えや価値観を持っている」と感じる相手を、いかに許容することができるか、が寛容性です。寛容論が書かれた当時のヨーロッパでは、カトリックもプロテスタントもお互いがお互いを「間違っている」と信じているわけですから、そんな中での共存は、現代よりも難しかったのだと想像できます。
確かに「間違っている相手を間違っているとわからせてやりたい」とは思うんですけど、冷静になって考えてみると、「神のために相手を糾弾する」っていうことが、自体が神の教えに背いているんですよね。民主主義には「民主主義以外の思想をも正当に許してしまう」っていう弱点があって、それゆえに民主主義はいつ倒されてもおかしくない思想です。
寛容性にも似たような弱点があって、寛容的でない相手にも寛容的でなくてはならないんです。寛容さを否定するような暴力的な人間にも寛容的でなくてはならない。それが寛容さの宿命であり、難しいとことであり、弱いところです。
でも寛容さは今の時代に合っているんです。というのも寛容さっていうのは、距離を置くことで実践しやすくなります。相手に対してあまり関わらない姿勢です。「勝手にやってれば」とか「自分がいいと思うんならいいんじゃない?」っていう冷めた態度です。
一般的に知られているような寛容さは「相手を認める」ような、積極的に相手を養護するものだと思います。が、僕の考える寛容さは、距離を置くことなんです。一見、冷徹にも思えるし、「そんな冷めた態度が本当に優しさなの?」って思うかもしれませんが、僕はこの冷めた態度が、優しさを実践するお手軽で実現性が高い方法だと思っています。
寛容さを実践するのは簡単です。相手と関わらずに離れれば良いのですから。しかもこのやり方だと、時代的にも合っているんです。それは、現代が学力よりも個性、全体よりも個人を重視する風潮だからです。相手に近づいて、相手との事をなんでも聞いて、自分のことを知ってもらってっていう距離のとり方だと、個人としての成長が難しくなります。相手に依存したり、自分が積極的に考えなくても他に考えてくれる人がいることになるので、自分が成長しなくても良いことになります。
今は個の時代と言われ、将来は現代よりももっと個が重視される時代と言われています。個を発揮するには、自分との対話が必要です。自分が何者なのかわかっていないといけませんから。
自分は何が好きで、どういう性格で、どういう生き方をしたくて、何を目指していて‥‥なんてのを突き詰めなくてはなりません。そのためには、もちろん相手との距離をつめるような人間関係も必要ですが、そればかりでなく、自分の内面を深く探るような姿勢が、より必要になります。
そしてもう一つ。人が幸せを感じるにはどうすればいいかといと、それは選択権を与えることと言われています。自由にすることです。自分で決めて、自分で選んで、という状態に、人は幸せを感じるそうです。牢屋とか監獄とか、縛られている状態は不自由なので、「人が自由に幸せを感じる」というのは納得できると思います。で、この「この自由とは何か」をもっと具体的にいうと、「選択権がある」ということなんです。
将来お金持ちになってもらおうと、将来いい人生を歩んでもらおうと、子どもに対してあれこれ指図したとしても、縛るだけです。縛られていては、子どもは何も選択できず、幸せを感じないでしょう。「子どものうちは縛っておいて、成長したら選択権を与えれば」と思うかもしれませんが、子どものときに馴染んだ習性は生涯残ります。小さいときに選択権を持たなければ、「自分に選択する自由がある」ということすらわからない人間になります。いわゆる「指示待ち人間」です。職場にもいると思います。
放っておくことが、寛容的な態度ですし、子どもに幸せを与える方法です。
一見、放っておくことは簡単に思えますが、実際はそんなことはありません。親は子どもに対して、家族に対して、あれこれ指示したくなります。自分の価値観を押し付けたくなります。その気持をいかに抑えるかが、子どもが非行に走りやすい家庭環境になるかどうかです。
イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。 感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 違反者や酔っぱらいなど、警察の世界にひしめく怒りっぽい人たちを観察してきた著者が、子ども相手についイライラするお父さんお母さんに向けて書きました。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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