なぜ起業しようと思ったのか(後半)
疑問を持ったことの3つ目が、違う土俵はないかってことです。私の家族は、警察官の仕事に理解があるわけではないんです。ですから、帰りたいときに帰れない、休みたいときに休めないっていう職場の求めに私が応じれば応じるほど、家族の私に対する当たりは厳しくなるんです。
で、警察官はみんな、職場での立場をよくするために働いています。仕事のスキルをあげて立場をよくしようとしたり、コミュニケーションをとって立場をよくしようとしたり、昇任して立場をよくしようとしたり。立場が良くなれば、居心地が良くなりますし、周りの人たちも自分のために動くようになるんでステータスも感じるようになります。で、そのためには、ワーカホリックにならざるを得ない部分があるんです。
当然ですよね、会社に賭けている人間、一心不乱にワーカホリックになっている人間の方が、立場が良くなるんですけど。
私は決して、そういうステータスに興味があるわけではないです。ワーカホリックに働くことが正しいことだとは思わないです。ですけど周りの同期とか同僚が、そうやってステータスを得ることをはたから見ているのも「あんまり面白くないなぁ」と思うんです。華のある部署に移動したり、昇任して立場があがったりですね。
もし、私の家族に警察官っていう職業に対する理解があったのなら、私も視野狭窄になって一心不乱に仕事をしていたのかもしれないです。そういう人生もあったのかもしれない。ですけど私の家族にはそんな理解がなかったし、私にはそれを無視して働くだけの器用さも度胸もなかったんです。
ですから、違う土俵を求めるようになりました。ワーカホリックに働かなくてもやっていける職場環境です。いつまでも昭和の時代の価値観を引きずってるような環境じゃなくて、構成員個々の立場があることをわかってくれるような環境です。甘えなんでしょうけどね。
疑問を持ったことの最後、4つ目ですけど、警察って、しがみついてでも定年まで居続ける価値のあるものなのかなって、思うようになりました。
私の職場ってのは、退職者もいるんです。脱落っていうのかどうかわからないですけど。護身・身を守ることを怠って油断すると、寝首をかかれる様なところがあるんです。失敗すると、立場が悪くなるんです。ですからみんな、必死になって組織にしがみついてます。自分の欲求を我慢して、組織のために働いています。
だけど、そうやって必死にしがみついて仕事をしていった先の成し遂げられるものって、果たして価値あるものなんだろうかと疑問があるんです。
みんな定年退職に向けて仕事ををしているんですけど、なんか、ベルトコンベヤーに乗って定年退職に向かっている様なイメージです。3月の定年退職の日に、それまで乗っていたベルトコンベヤーから突然、落とされてしまう様な。確か映画のトイストーリーにあった描写ですけど、落とされた先にあるのはカゴで、その中には自分と同じ姿形の商品の山なんです。自分独自だと思っていたのに、実は大量に製造された規制品の一つにすぎない、みたいな。
本当に組織の言いなりになって働いて、その先に幸せってあるのかって、疑問を持つ様になりました。定年退職していく先輩方を見ていると、とても幸せが待っている様には見えないんです。ある日突然、大量生産された多くのおじいちゃんの一つになってしまう様で。
というわけで私が起業しようと思ったのは、職場環境に疑問を持ったからです。外部から模範を求められる事。それに対して組織が応えようとする事。違う土俵があるんじゃないかという事。組織にしがみつくことに事に価値はないんじゃないかという事。疑問を持つ様になった事の4つです。
関連する投稿
- 日本語文章を書く際の注意点とは。AERAのムックで大御所連中が言っていたこと
- 親は教育ハラスメントに気づくべきだ。9年浪人するという妄信
- 岸辺露伴から教わったリアリティーの話。文章と言葉に説得力を持たせる方法
- 権威の否定。プロとして仕事をするよりもアマチュアの方が尊いという話し
- アドバイスでなくてユーモアを提供しよう
現在の記事: なぜ起業しようと思ったのか(後半)