文章を書くのにお勧めのポイントはどこか
私は文章を書くことが好きだ。
パソコンのキーボードをパチパチと打っている時間が好きだ。そのときは、無心でいられる。「文章を書いているのに、『無心』なんてことがあるか!」と思う人もいるかも知れない。でも確かにそんな、「無心」のような感じなのだ。濃密に考えているようで無心。無心でいるようで、グルグルと考えている。これは、森を見るような木を見るような、そんな見方なのだと思う。個々の木を見ようとするのではなく、森全体を見る。すると個々の木を見ようとしているときよりもより良く見える、ような。「天才とバカは紙一重」のような。ラグビーに『ワンフォーオール』、オールフォーワン」のような。とにかく、文章を書くのが好きなのだ。
だが、好きだからといって、いつまでもやっていられるわけではない。いや、ネタがあればいつまででもやっていられるのだが、そんなに都合よくネタが出てくるわけでもない。頭が働くときと、働かないときがあるのだ。うまくネタが思い浮かぶときと、思い浮かばない時があるのだ。
ライターや文章家にとどまらず、おそらくクリエイターとよばれる人、さらには芸術家と呼ばれる人は、誰しもがこの「うまくいく時といかない時」について悩んでいるのだと思う。どうすればうまくいかない時を減らして、うまくいく時を増やすことができるのか。どうすれば、うまく作れる時を増やして、効率的に仕事をすすめることができるのか。などと考えているはずだ。
この問題を解決する方法の一つが、環境を考えることだと思う。発想できるかどうか、閃くかどうか、思いつくかどうか、には色々な要素があると思うが、その大事な一面を担っているのが「環境」だろう。少し極論して言ってしまえば、「環境が良ければうまく作れる」「上手く書けるかどうかは環境次第」ということだ。
私が文章を書く時に、お勧めの環境を紹介しよう。「どこで書くか」ということである。カフェか、屋外の公園か、それとも自宅の部屋か。私は、インターネットカフェのオープンスペースを使って、よく書いている。文章を書くのに私のお勧めぽ委員とは、インターネットカフェのオープンスペースなのだ。
まず、どうしてインターネットカフェなのか、というところから説明しよう。資料が沢山あるし、自由に立ち回れるからだ。まず、漫画や雑誌などがたくさん置いてある。どれを見ても読んでもオッケーだ。文章を書くのに、これほど心強い環境もあるまい。「文章を書くのにネタに詰まった」というときは、漫画や雑誌を読んで、ネタを探すのだ。この時に、「本の方がいいのではないか」と思った人はいないだろうか。「文章を書くネタを探すのなら、本のほうが良いし、そうなると本屋の座れるスペースの方がいいのではないか」と思った人がいるのではないか。
たしかに漫画や雑誌よりも、本のほうが深い知識が書いてあるだろう。けれど、私が言っているのは、書く段階のことなのだ。今、喫緊に書かなればならない、文章を作らなければならない状況が存在する。そんなときは、視覚的にパッと飛び込んでくる写真や絵が多い、漫画や雑誌の方がいいのだ。即効性があるのだ。この、即効性のある資料の有無は、「文章を書くスペースをどこに設定するか」を考える上での大きなウェートを占めるだろう。
もう一つは、自由に立ち回れる、ということである。堂々と店内を歩いて回れるのだ。これがカフェだとそうはいかない。席を立ってしまえば、たちまちその席はフリーとなり、誰に座られても文句は言えない。しかも、カフェとネットカフェの大きな違いだが、カフェがいればいるだけ店にとっては迷惑であるのに対して、ネットカフェはそうでもないのだ。ネットカフェは、利用時間が長ければ長いだけ料金が高くなる。デメリットのようにも思えるが、「お店の視線を気にせず堂々としていられる」という点では、これほど居心地のいい場所ない。
文章を打つ手が止まったら、立ち歩いて気分転換するもよし、資料を探しに歩いてくるもよし、なのだ。この「いつでも自由に立ち上がれる」というのは、意外と大きいと思う。頭の自由度が違ってくるので、ネタの閃きにも、大きな追い風となるだろう。
それと「オープン席にこだわる」ということであるが、これも頭の自由度ということになる。狭い囲まれた席にいては、頭が自由に発想してくれない。それについついネットサーフィンをしてしまう恐れがある。オープン席で、風通しの良い場所を選ぶからこそ、想像力が広がり、アイディアとアイディアが繋がりやすくなるのだ。
強いてデメリットを言うなれば、「お金がかかる」ことだ。3〜4時間もいれば、1000円はしてしまう。これは、安いコーヒー屋で一杯200円のコーヒーでねばることとは、雲泥の差だろう。あっという間に財布の底が見えてしまう。そのへんは、コストパフォーマンスを考えなくてはならないが。
私はよく、インターネットカフェのオープン席で文章を書いている。もしも自分なりの各スペースをまだ決められていないのであれば、候補として考えてみてはどうか。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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