子育てで、虐待をなくすために許されないこととは
人に暴力を振るったり、人に悪口を言ったり、人に追い詰めることを言ったり、人に怒声をあげたり、人をだましたり、人の物を壊したり、人に何かを強制したりする事が間違いなのは、誰もが知っています。
これに例外はありません。それは「自分の子どもだから許される」わけではありません。これは「しつけ」だからとか、これは「怒っているのではなくて叱っている」からとか、そんなのは言葉遊びでしかなく、やっている事は同じです。
自分の子どもを親が殺す事件がよく、テレビやなんかで流れます。昨日もそんな事件が流れていました。
今回子どもを殺した父親は、職場では子煩悩と思われていたそうです。父親は大抵、子煩悩だと思うので、この父親も、日々鬼畜のごとき悪行を繰り広げていたわけではなく、並みの父親だったのだと思います。
おそらくこの父親には、「自分の子どもには、しつけの為に厳しく接してもいい」という考えがあったと思います。それは、「暴力は自分の子どもには多少、許される」という、怒りの感情を子どもに向ける事に対して、許されるものだという思いです。
「しつけのため」とか「叱っている」から許されるという風潮を改め、いかなる暴力も許されないという認識を子育ての際に持つ必要を私は感じます。暴力は親だから許されるのではなく、「子を思う親だからこそ」です。
実際、子育て本の多くに、子育ての際に暴力を正当化しているものはなく、暴力に子どもを育てる効果はないはずです。暴力を子育てに持ち込むことは、おそらく間違いでしかありません。
「いかなる暴力も子育てには許されない」。そのような風潮がなければ、虐待はなくなりません。
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