自分の子どもを幸せにする、もっともよい方法とは
あるブロガーのブログに載っていた記事の抜粋です。元々は、オンライン教育の事業を立ち上げた起業家の本からの引用です。
私もひとりの親として、わが子が世界で一番かわいいと思う気持ちはよくわかります。どんな母親も父親もそうでしょう。それは生物学上の問題です。
しかし、この生物として自然な親の愛情には、何やら危険な影響がつきまといます。ときに私たちは、個人としても、社会としても、子どものためなら身勝手になってもかまわないと考えることがないでしょうか。
どう見ても、これは偽善者です。それでも私たちは、みずからのDNA、みずからの家族のために行動します。感情的には正しいけれど、道徳的には誤っていることを、自分たちには無条件で認めます。わが子が教育を受けている限り、よその町、よその国、よその大陸のことなど、気にもかけません。
しかし、この孤立主義的・自己優先的な立場をとることが、本当にわが子のためになっているのでしょうか?
私はそうは思いません。むしろ、不平等が拡大し、不安定さが増す世界で生きることを子どもに強いるようなものです。わが子を救うもっともよい方法は、すべての子どもを救うことです。
私は非常に共感できる内容でした。霧が晴れた気分です。というのも、今年1月のコラムで私のミッションを「子どもの幸せとは何か、己は子どもを幸せにできるか」と書きましたが、子どもとは、わが子だけを指すのか、それとも世界中の子どもを指すのか、自分自身あいまいでした。
ですがここではっきりしました。ミッションの「子ども」とは「世界中の子ども」のことですね。
自分の子どもを幸せにするもっともよい方法は、世界中の子どもを幸せにすることです。
親というのは、自分の子どもの事となると非常に自己優先的です。自分の子どもは一番かわいく思うけど、子ども自身には、自己優先的な狭い人間にならず、他人にも尽くせる大きい人間になってほしいと願います。
自分は子どを第一に考えるくせに、子どもには他人にも尽くせる寛大な人間になってほしいと思うのです。
ですが、子どもに多大な影響を与える親が自己優先的では、子どもも自己優先的になってしまいます。子どもは親を真似て育ちます。子どもに寛大で器の大きい人間になってほしかったら、親自分も寛大で器が大きい人間にならねばならないのです。
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