子どもの学校の先生が間違っていると思うんですが。
「学校の先生って生徒に何かを問われたら、一緒に考えようとするんじゃなくて、「即座に正しい答えを与えなくちゃいけない。そうしないと教師の威厳が保てない」と思ってる。」
こちらの本でちきりんさんが言っていた言葉です。確かに学校の先生は、「即座に答えないと教師の威厳が保てない」と思っているのかもしれません。しかし「質問には即座に答えられるべき」という考えは、先生が自分で考えた「先生はこうあるべき」という姿勢ではないはずです。
「先生はこうあるべき」というプレッシャーを与えているのは「社会」なんです。おそらく先生は、多くの国民の「先生だったら、生徒や児童からの質問に即座に答えるべき」という声に応えているだけなんでしょう。
学校を始め、公務員、公的機関、もしくはそれに近い組織では、トップダウンの三角形が形成されています。私たちと接するような、「現場」で働く人たち、すなわち先生やお巡りさんや消防士や窓口対応の人たちは、三角形の上の人たちからの指示で動きます。
それは、実際の細かい仕事内容から「◯◯はこうあるべき」とう思想まで多岐に渡ります。実際に「◯◯はこうあるべき」とう意思統一がなされるのは難しいのですが、一緒に仕事をしているうちに同じような意識になってしまうのです。
では三角形の下の人たちが上からの指示で動いているなら、三角形の上の人たちは、誰からの指示で動いているのでしょうか。彼らは自分たちの意思で自由に動いているのでしょうか。三角形の上の人たちは、「こうあるべき」という組織の方向性を自分たちで自由に決め、下の人たちに決めたことを落としているのでしょうか。
実は、三角形の上の人たちも、自分たちの自由に組織の方向性を決められるわけではありません。彼らも「あるもの」に従って、組織の方向性を決めているのです。その「あるもの」とは、世論であり、社会のプレッシャーであり、国民の声です。
確かにちきりんさんの言うとおり、生徒や児童の質問に即座に答えることは、一見必要ないことのようにも聞こえます。しかし、世間はそのような先生を許すでしょうか。多くの人たちが「生徒や児童の質問にすぐに答えられる先生」を求めているのではないしょうか。
「◯◯はこうあるべき」という組織の方向性は、組織の中だけで作らるものではありません。それは社会からの声によって作られます。大きな組織である限り、常に社会の声は無視できません。学校の先生も、おそらく世間のプレッシャーを意識してそのような姿勢になっているのでしょう。
情けは人の為ならず。物事は巡り巡って自分に返ってくるものです。先生も「即座に質問に答える」という先生の姿勢について、社会の声、それに従った場合のメリットとデメリットなどを考え、次第に考えが定まっていったのだと思います。
「◯◯はこうあるべき」という組織の方向性は、私たち一人一人の声によって作られます。社会で私たちが接する公的組織の姿勢は、私たちの民意が作り上げたものなのです。
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