天使のナイフ 〜 子どもの非行を防ぐためのブックレビュー
主人公は埼玉に住む、カフェ経営の30歳代男性。四年前に妻を殺されており、保育園に通う4歳の娘と二人暮らし。四年前に妻を殺したのは、当時まだ中学生3人の子どもたちでした。ある日、その3人のうちの一人が主人公の居住地の近くで殺されます。
なぜ主人公の妻は殺されなければならなかったのか。なぜ3人の中学生は、主人公の妻を殺したのか。家族を殺された遺族はその後、どのような心境で日々を過ごすことになるのか。殺人を犯した子どもはその後、どのような心境で日々を過ごすことになるのか。
少年法とは犯人の子どもを更生させることを第一の主眼としており、それに比べて被害者の人権にはあまりにも配慮がなさすぎるのではないか。更生とは何か。犯罪を犯した子どもは、どうすれば更生したと見なされるのか。
犯人を被害者から遠ざけ、被害者に犯人である子どもの情報が全く伝えられないままなのは、被害者にとってあまりにも残酷ではないのか。それでは被害者は、家族を失った怒りや悲しみに対して、どのように対処するべきなのか。
少年法という盾に守られた少年たち。少年法という壁に阻まれて前に進めないでいる遺族。本書では、少年法があり、更生という名の下に、犯罪を犯しても人生をやり直せるからこそ起きる事件が、重層的に発生してしまいます。
「被害者が本当に許してくれるまで償い続けるのが本当の更生」という言葉が印象に残るように描かれているので、著者の考えもそうなのかと思います。
ですが、「いつまでもエンドレスで被害者のことを想い続けなければならない」というのも酷な話です。被害遺族がいい人ならまだいいんですが、被害遺族が曲がった考えの持ち主だった場合、「こっちは被害者なんだ!」というセリフの元にいびられ続けてしまうでしょう。
私は、「犯罪を犯した子どもが、何を持ってして更生したと言えるか」については、一人一人違う考えがあって仕方がないのだと想います。確かに一番憂慮されるべきは被害者の心情だと想います。ですが、被害者の心情自体、一様ではありません。
遺族にとって犯人の子どもに何を求めるかは、人の数だけ答えがあるのだと思います。何事もなかったかのような日常を取り戻すため、’放っておいて欲しい人も言えれば、積極的に関わって欲しいと思う人もいるはずです。
更生しなければならない子ども自身が更生について考え、出した答えを実行することが、更生なのだと思います。
もしかしたら、重大な犯罪にあって家族を亡くした人がいるかもしれません。そのような人たちにとって、「更生の方法とは、子ども自身で考えたものでいい」と言っては、あまりにも無責任だったのではないかと思いました。
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