幼児期に溺愛されるとわがまになり、非行に一直線とは本当でしょうか?(2)
かと言って溺愛しすぎる子育ても、健全とは言えません。
溺愛は間違った愛情です。子どもを溺愛している親は、子どもに過度に期待をかけているケースが多くあります。子どもに完璧を求めてしまいます。親が子どもに何かを求めると、子どもはそれに応えようとします。子どもは親が好きだからです。子どもは親に愛してほしいし認めてほしいので、親の期待に応えようとして無理をしがちです。
子どもが親に何かを頼んでも、完璧を求める親は「そんなのダメ。」とすぐ否定してしまいます。自分の言うことをすぐに否定されては、子どもは自分に自信を持てなくなります。「何か言えば親が不機嫌になってしまう。不機嫌になってほしくない。」と子どもが思えば、人の顔色ばかりうかがうようになってしまいます。親と子どもの関係がギクシャクしたものになってしまいます。それは、親と子どもの関係が安全基地ではないということです。子どもは親が好きなので、なんとか親を喜ばそうとして精一杯のサービスをしますが、親の方は子どもの気遣いなど眼中になく、無神経な発言をし、子どもが傷つくようなことを当たり前に言います。それでは安全基地はつくられません。安全基地があり、安全基地に支えられている子どもは「何かあっても大丈夫」と思えますが、安全基地を持たない人は自信がなく、傷つきやすくなってしまいます。
以上のように、愛情が足りなければ、育児放棄や家庭崩壊となり、子どもは愛情に飢えます。かと言って親が子どもを極端に溺愛すれば、子どもを支配してしまうことになり、子どもは自立せず、健全な成長はできません。バランスが重要です。
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