子どもの虐待が無くならない理由
子どもの虐待が無くならない理由の一つに、見つけることが難しいってことがあります。
町中にくまなく配置されている公務員って交番の警察官しかいないので、まず一次的には警察官に情報が来ることが多いと思います。110番通報とか、交番に直接連絡が行ったり。「あそこで虐待がされていますよ」とか「これって虐待なんじゃないの?」とか。そんな情報が警察には頻繁にあります。
で、そこから実際に家に行って虐待が行われているかどうか、確認するわけです。一番はっきりしているのは、キズやアザなんかの、暴力を受けた後が子どもの体にある場合ですよね。子どもの体を直接確認させてもらって、実際にそんな虐待の跡があるかどうかを見るわけです。
この時に、実際に跡があったとしても、その跡が暴力によるものなのかどうか、虐待によるものなのかどうかを確認する事になります。親に聞いたところで、当たり前ですけど、虐待をしている親は嘘をつくわけで、その傷跡が「虐待によるものではない」という趣旨のことを言うわけです。どんな嘘をつくのかというと、一番多いのは「転んだ」でしょうね。「歩いていて転んだ」とか「転んで高いところから落ちた」とか。
で、この時にこの嘘を見破る方法が、一つはキズの位置を見ることです。叩きやすい位置と、転んでキズが付く位置って、ズレている事が多いんです。叩きやすい位置、虐待の暴力を与えやすい位置っていうのは、背中とか、頭とか、おしりとか。それに対して転んだ時に打ちやすい位置っていうのは、子どもの年齢にもよるんでしょうけど、肘とか、手のひらとか、膝とか。そんなところですよね。その食い違いで、ケガやアザが虐待によるものなのか、それ以外によるものなのかどうかを判断するんです。
それと、「食べさせているかどうか」っていうのは、虐待の判断をする時に指標になります。虐待をしている親は子どもに食べさせない事が多いので。親として思うに、やはりご飯を食べさせるのって、純粋に言えばストレスだと思うんです。つまり「面倒だ」ってことです。ご飯を子どもに食べさせるのって、親にとっては面倒なんです。
わざわざご飯を作る時間や食べさせる時間、それと後片付けの時間も考えて時間を取らなければならないし。忙しい人や、自分のやりたいことがある大人にとってはこの時間、もったいないと考えますよね。自分がやりたいことがあるにも関わらず、子どものために時間を取るんです。
子どもが幼児の場合には、親が直接食べさせなければなりません。子どもの口にスプーンや箸を使って、食べ物を持っていってやるのです。そうしなければ幼児は食べませんから。あの手この手を使って子どもにご飯を食べさせようとする。けれど子どもは食べようとしないし、親が食べさせようとするのに比べて食べることに対して興味がない。
親にとっては一番の面倒事なんです。子どもに食べさせることが。だから、子どもの優先度が低くなった親は、食べさせることに無関心になりがちです。食べさせることは、お金もかかりますしね。以前、ボクが扱った虐待が疑われる現場では、子どもは「塩をなめていた」と言っていました。虐待の通報を受けて、現場に行って、虐待があったかどうかを判断しなければなくて、何気なく(もちろん、親に聞かれないように)子どもに「今日は何を食べてた?」と聞いたら、返ってきた答えが塩でした。さすがに「これはダメだ」と思いましたが。
で、子どもの体を見るにせよ、食べていたものを聞くにせよ、虐待を判断するのは難しいっていうことなんですが、虐待の判断をするときに一番難しいのは、人権っていう問題ですね。この曖昧な人権っていうものが邪魔して、警察官が立ち入った事をすることがなかなかできないんです。
「人権」って書くとなんだか綺麗ごとのような印象を受けますけど、実際には警察官なんかの公務員を寄せ付けないための言い訳になっています。最近でも、コロナウィルスの問題で、中国の武漢市から帰国した人に検査を受けさせようとしたら拒否されたっていうニュースがありましたけど、公務員っていうのは権力がありそうでないですから。
確かに、警察官などの公務員の権力を削いでおくことは、負の歴史を繰り返さないために良いことだと思います。戦時中は憲兵なんてのがありましたから。不当に人権が無視されていた歴史があったわけです。が、権力を削ぐことで確かに一党独裁のようなことはできなくなったのですが、今度は立ち入った行動ができなくなったわけです。現場における執行力の低下です。
多数の目で見張られることになった。スマートフォンで行動は記録されて、少しの間違った判断が許されない世の中になってしまった。だから、公務員は判断をするのに二の足を踏むんです。確かに間違わなければいいんでしょうけど、間違いのない判断なんてできません。その失敗を許さない不寛容社会なんです。少しでも攻撃するすきができれば、攻撃する世の中です。公務員は格好の攻撃対象になりやすい。
この攻撃対象になりやすい、監視の目が行き届いている、失敗ができない。この空気が、警察官などの判断をにぶらせ、一歩踏み込むのに二の足を踏ませ、虐待が見つからないようにしているんです。虐待が無くならない理由なんです。
寛容さが必要ってことです。フランスの哲学者・ヴォルテールが「寛容論」なんて本を出しているように、結局は昔から言われてきていることです。時代と場所が変われど、人の営みに変わりはありません。虐待を無くすのにも見つけるのにも、寛容さが必要なんです。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
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