どうして虐待がなくならないのか

2020.03.05 (木)

虐待がなくならないのはどうしてでしょうか。

 

 

これは、子どもに対して親が愛情を持っているからでしょう。親が子どもを愛しているから、虐待が発生するのです。もしも親が子どもに対して愛情を持っていなかったら、虐待はとっくに無くなっています。

 

 

というのも、親が子どもに対して期待するため、子どもを縛り付けます。ですが、ご存知のように、子どもはそうそう親の言うことを聞こうとしません。親が子どものためにと思っていろいろな助言やアドバイスをしても、子どもは「親の心なんぞ知らない」とばかりに好き勝手なことをします。

 

 

子どもの為に言っているのに、子どもは言うことを聞いてくれない。この部分が、親にとっては「不正」なのです。古代ローマの哲学者セネカは「怒りとは、不正に対する復習の欲望である」と書いています。この「不正」とは、客観的な「不正」ではなく、主観的な「不正」のことです。この場合は「親が何を正しくないと思うのか」ということです。

 

 

つまり、怒りやイライラに対する対処としては、この「不正をどう考えるか」という問題を解決しなければなりません。

 

 

それまで不正だと思っていたことを不正だと思わなければいいのではないでしょうか。自分の中での「正しいと正しくないの判断」「正義と悪の基準」「善いことと悪いことの違い」など、これらをもっと曖昧にすれば、「正義を侵された」「正義を侵害された」「正しいことを破られた」など不正を感じることもなくなるでしょう。

 

 

親は、子どもが自分のとおりに動かないことに対して「不正」を感じます。「早くご飯を食べなさい」という指示に対して子どもがそのとおりに動かず、いつまでもご飯を食べていては、「自分の正しいと思うことが侵された」と考え、心に怒りが表れます。

 

 

子どもに対して「早く寝なさい」と支持したにも関わらず、子どもがいつまでも兄弟とじゃれ合っていたり、スマートフォンなんかで動画を見ていたりすると、「なんで自分の予定どおりに動いてくれないの」とイライラします。これは、自分の側に正義があり、自分の側に正しさがあるとする考えの表れです。そんな親にとっての正しさを子どもが実行してくれないので、「不正」なのです。

 

 

ですが考えてみれば、親が「自分の側に正しさがある」と考えるのは、いかにも主観的で自分勝手な考えなのではないでしょうか。

 

 

確かに子どもは親ほど物事を知りません。この世に生まれてから経った日数が少なく、圧倒的に経験がありません。親が予想する先のことを、子どもが予想できないでしょう。

 

 

たくさんご飯を食べなければ栄養不足になる可能性がり、そうすればうまく体が形成されず、成長の度合いが小さくなります。早く寝なければ睡眠不足になり、翌日の行動に支障が出ます。漫然とした動きや考えになり、交通事故の可能性も高まるでしょう。寝不足が慢性的になりれば、この漫然とした動きや考えが常態化してしまいます。

 

 

しっかりと宿題をして習い事をこなさなければ、学力がおろそかになります。テストで良い点数を取れないばかりか、進学の際に選択肢が狭まってしまします。将来の就職の際の選択肢も、学力の高い分野は望めなくなります。

 

 

が、それが何だというのでしょう。うまく成長できず、寝不足が常態化し、就職先が制限される未来。それが子どもにとっての不幸だと言えるのでしょうか。親は子どもの幸福を願います。子どもの不幸なんて望みません。が、親にとっての幸福が、どうして子どもにとっての幸福と同じだといえるでしょう。

 

 

「◯◯ちゃんの為に言ってるんでしょ!」とか「お前の為に言ってるんだ!」とはよく聞く言葉ですが、この「◯◯の為」とはどういう意味でしょうか。親としては、本当に「子どもの為に」と思って言っているのでしょうか。というのも、親が言葉にして「お前の為だ」といって、子どもが「そうか、親が言うのは自分の為なのか。これから言動を改めよう」と思うわけはありません。

 

 

もしもそう思うのであれば、とっくに子どもは言動を改めているでしょう。それは「お前の為だ」と言っている当の親にもわかっているはずです。

 

 

「お前の為」は相手の為になっていません。であれば、「お前の為」の「お前」とは一体、誰の事を言っているのでしょう。おそらくこれは、自分の為なのではないでしょうか。親が子どもに対して「お前の為だ」というのであれば、この言葉は結局、自分自身を正当化する親自身に向けられたもの、と捉えられます。

 

 

たとえ自分の子どもであっても、親の言うとおりには動きません。親の言うとおりに動かなければならないこともありません。もしも「自分自身に正しさがある」「自分は何も間違ってはいない」と思っているのあれば、それだけ視野が狭くなっているということです。

 

 

ケンカや口論を始め、人間関係のもつれにおいて、どちらか片方だけが一方的に悪いことはありません。どちらも同じように悪いし、同じように正しさを持っているのであって、はっきりとした善悪の線を引くことは無理でしかありません

 

 

セネカの言うとおりに、怒りを「不正に対する復習の欲望」とするのなら、怒りを収める根本的な問題としては、不正の基準を曖昧にすることです。そして、「何が正義で何が不正なのかの線をハッキリと持っている」と思っている人は、たとえ子どもの親であっても、それは自分勝手と言えます。

 

 

虐待を無くすには、子どもと距離を置くことです。「子どもが好きだ」「子どもを愛している」という気持ちは素晴らしいことですが、その愛情こそが、社会で連綿と続いている虐待の招待なのです。愛情は子どもに対する親の期待を生むので、自分に従わない子どもを「不正」という基準で見てしまうのです。

 

 

 

 

 


 

 

 

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