虐待としつけについて

2020.03.04 (水)

ヤフー知恵袋で以下のような相談を見たのですが、これに対して2つの視点から応えてみたいと思います。一つは、この相談に対して、相談に乗っている人間として応える視点。もう一つは、この相談に乗るのではなく、この相談を客観的に見てみる視点です。

 

相談内容

現在子供が3人以上おります。近所から児童相談所に通報されました。
通報内容は全くのデタラメですが、児童相談所より電話があり「一度お会いして聞き取りをしたい」と言われ、先日うちに来たので夫婦で応対しました。

訪問すら拒否したかったのですが、断って変に疑われるのが嫌だった事と、デタラメな通報だと言う事を説明したく承諾しました。

詳しい内容を聞かれ、「注意をしても言う事を聞かない時はお尻を叩きます。手の甲をつねります。ただしアザになるような強さではなく、あくまでも躾としての範囲内だと思っています」と伝え、このぐらいの強さですと身振りでも説明しました。
他にも「危険な事をした時は、大きな声で怒るし、頭を引っ叩いた事もあります」と伝えました。これも、このぐらいの強さですと説明しました。
また、日頃から悪い事をしたり言う事を聞いてくれない時には、大きな声で怒ったりします。日常的には主に「いい加減にしなさい!」と怒る事が多いですと説明しました。

そしてしつけについての事を言われました。
まず、いかなる理由があっても強さは関係なしに、手をあげることは虐待になる。大きな声等は関係なしに、怒ることはいけない。と言われました。
え、ならばどう注意するんですか?出血するような行為や、人に危害を与える事をした時も叩いても怒鳴ってもだめなのですか?と聞くと、『はい。そうです』との事なので、ではどうしたらいいのかと聞くと『怒るのではなく、なにがいけないかを伝え諭してください』との事でした。
私達は、もちろん怒ったりお尻を叩いたりした後に、上記の事をしています。それでも聞いてもらえない時もあります。ましてやまだ諭しても理解できない小さい子供もいます。それでもだめなのかと聞きましたが、答えは同じでした。

私達夫婦は躾なども甘やかさないように…と頑張っているつもりでした。

主人は、「いくらなんでも甘すぎる!そんなことばっかりしてるから、出先で走り回っても怒らない親ばかりだし、簡単に手を出す子供が増える!(うちの子はよくお友達に引っかかれたり、つねられたり、噛まれたりしてくる事が多いです。うちの子は先生方に聞く限りやったことはないそうです)」と言っていますが、私はどう子どもたちに向き合えばいいのかわからなくなってしまいました。
諭して…等はとっくに小さいうちからやっています。それでも辞めない時等は、怒ってしまっていたしお尻をぶったりしていました。

子供がそういう事をした際、どのように対応していますか?

 

 

相談に対して応える視点

根気よく諭すことを続けましょう。大声を出して叱ったり、それでも言うことを聞かなけれあ叩いたり、そのようなしつけは確かにその場においては有効なのかもしれませんが、長期的に見て有効とは言えません。というのも、大声を出したり叩いたりは、しつける方にとっては簡単でエネルギーを必要としないしつけ方法なので、癖になるのです。

 

 

もしかしたら相談者の方は「最後の手」として「大声を出して叱ったり叩いたり」を使っている感覚なのかもしれませんが、おそらくその手を使う頻度は高くなっているはずです。一度ならず、何度もこの手を使っていると、わざわざ口で諭すことが時間の無駄に思えてくるのです。「今回のは叩いてもしょうがない」「今のは大声を挙げなければ仕方がない」と自分に言い訳をして、自分の行動を正当化して、どんどん安易な方法を使うようになります。

 

 

子どもが多い少ないに関わらず、子どもが暴力的か穏やかかに関わらず、皆んなどこの家庭でも、暴力的な方法に頼らないで、できるだけ穏便に、口で言って諭す方法を模索しているのです。人間ですので、カッとなることもあるでしょうし、その気持もわかります。が、「暴力的な方法は忌むべき方法である」ことを絶対悪と位置づけて、ついつい暴力的になったときも、できるだけ早く暴力的な方法から離れるべきです。

 

 

これは、「暴力を受けて育った子どもが将来、暴力的になる可能性がある」という意味でもありますし、今現在の子どもの幸福感のためでもあります。ついつい「将来のために…」との感覚で今を犠牲にするのが子育てでありしつけだと思われがちですが、「いまここ」での幸福感も、人間として生きている子どもの権利です。「悪いことをしたから…」とか「将来のために…」という理由で暴力的なしつけをするのだと思いますが、因果関係が何であれ、「暴力を受ける」とか「苦痛を受ける」という不幸を子どもが受けるのを肯定するわけにはいきません。親であれ誰であれ、理由が何であれ、暴力や苦痛を他人に与えるのがダメなのです。

 

 

経験したことのない子育てを、どこの家庭でも手探りで、暴力的な手段に頼らないで実践しようとしています。親としては面倒だし、時間がかかりますし、エネルギーが必要な方法ですが、根気よく口で諭すことを模索してください。暴力的なしつけは絶対的な悪として位置づけてください。

 

 

この相談を客観的に見る視点

「いかに自分で気づくことが難しいか」「自覚することが難しいか」ということが、この相談からわかると思います。この手の相談はけっこうあり、多くの人が自分が虐待をしていることに気づいていません。子どもに対する暴力である虐待もそうですが、パワハラやいじめなど、大抵の人間関係のもつれは、この「自覚がない」ことが、なかなか無くならない原因になっています。

 

 

いじめは、いじめる側がいじめていることに気づいていないことがほとんどです。職場でのパワハラも、上司は「指導の範疇」と考え、自分の言動がパワハラに当たらないと考えていることがほとんどです。

 

 

最近では、コロナウィルスの影響でマスクが店頭から消え、たまに店頭に並べる店があれば、その店には行列ができるようになっています。おそらく行列に並ぶ人は、テレビやインターネットでマスクを買うために行列に並ぶ光景を見て「馬鹿らしい」「アホみたい」などと考えながら、自分たちは行列に並ぶのです。そして、「ウチはもうすぐマスクが切れるから」とか「ウチには子どもがたくさんいるから」などと、自分たちの行動を正当化する理由をひねり出して、自分を納得させているのです。

 

 

我先にマスクを買おうとしている人は「自分がマスクを買おうとしているのは、特別な理由があるからで、他の人とは違う」と思っているのですが、テレビやインターネットの動画で我先にマスクを買おうとしている滑稽な姿を見せている人は皆んな、同じように「自分には特別な理由がある」「他の人とは違う」と思っているのです。自覚がないのです。

 

 

虐待や犯罪も、マスクの問題と同じで、やっている人間には自覚がありません。虐待や犯罪をやっている当事者も、テレビややネット動画で虐待や犯罪のニュースを見て、「なんでそんな馬鹿なことをやっているのだろう」と思いながら、自分でやって「うちの場合は他とは違う」といかにもな理由をひねり出して自分たちを正当化しているのです。

 

 

 

虐待を防ぐにはどうすればいいのか

「自分たちも、しょせんはテレビやネット動画の中で言われている虐待をしている家庭と変わらない」ことを自覚するにはどうしたらいいのか。自分たちの客観的な姿に気づくにはどうすればいいのか。それは、一つには、他人の姿を見ることです。

 

 

「他人のふり見て我が振り直せ」ということわざの通り、他人の姿を見てはじめて、その言動がいかに滑稽か分かるものです。人前で鼻をほじることがいかに目立つか、いかに滑稽か。自分でやっているうちは気にしないかもしれませんが、人のそんな姿を見れば、「自分もやめよう」と思うのではないでしょうか。

 

 

それと、自分を特別視しないことです。何事も「自分の場合は違う」とか「ウチは特別だから」などと考えていては、世の中にある教訓を自分の人生に活かすことができません。どんなに良い話を聞いても、「ウチの業界は特別だから」とか「うちの場合は違うから」とハナから受け入れないでいては、応用できるものも応用できません。

 

 

世の中をフラットに見て、「人間、そう変わるものではない」「他人も自分もしょせんは同じ」であることを意識するのです。どんなに「自分は良い車に乗っている」と思っても、世界的なセレブから見れば一般的な高級車などたかが知れています。どんなに「自分の環境は恵まれていない」と思っても、発展途上国のスラム街から見れば日本の環境は恵まれています。

 

 

もっと高い視点からみれば、五十歩百歩なのです。「あいつは100歩逃げたが、オレは50歩しか逃げていない」などと言って競ったり争ったりしたところで、どっちもどっちです。

 

 

周りを広く見ること。それと、自分と他人を繋げられるように、つまりは自分を他人のように客観視できるように、自分を含めた世の中をフラットに見ることです。

 

 

 

 


 

 

 

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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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