怒りから生じるエネルギーは成長につながると思いますか?
怒りは成長には繋がるのかもしれませんが、使い方次第でしょうね。
確かに怒りが成長に繋がる場面ってありますよね。怒りの感情が出るってことは、それだけ対象が心のなかに踏み込んできたってことなので、そこは自分の心が揺れる部分なのでしょう。怒る場面っていうのは、自分の心が揺さぶられる部分です。心に波が立つ部分なので、モノづくりや文章を書く際のきっかけにしやすいですよね。
僕が子どもの頃、「うしおととら」っていう漫画があって、その漫画に出てきた獣の槍も、怒りの中で作られたものでしたね。蘇った古代の大妖怪・白面の者に立ち向かう唯一の武器・獣の槍。獣の槍がどうして白面に立ち向かう唯一の武器なのか。
うしおととらの物語が獣の槍が作られた当時に及んで、獣の槍が憎しみと悲しみと怒りの中で作られたっていうストーリーでした。鍛冶職人が怒りに狂いながら槍を打って、あまりに怒り狂っていたために最後は炎で溶けて、自分の体ごと槍になっていった、という話でした。怒りはモノを作る際のきっかけになります。
僕もコンテンツ作りに怒りは欠かせないかもしれません。毎日コラムを書いて、週に一度ラジオ配信をして、時々長文を書いて、なんて生活をしていますが、毎回毎回ネタに困ります。毎回ネタを絞り出しているのですが、ときどきネタが向こうから来てくれる時があります。「このネタについて話そう」とか「このネタについてなら書ける」ってネタが降って来る時があるのですが、そんな時は大抵、怒りによって心が揺れたときです。
嬉しい時もそうなのかもしませんが、怒った時も、その怒った原因はコンテンツのネタになります。いいコンテンツにはやはり「自分の思い」が入っていなければなくて、怒りは自分の思いをアウトプットしやすい状態にしてくれます。
たとえば人間関係で嫌なことがあったとき、怒りますよね。「なんで自分がこんなことを言われなきゃならないんだ」とか、「あの人がこんなことを言っていたけど、あれは間違っている」なんて怒りです。そんな時は自分の考えがはっきりしている状態なので、文章に具体化しやすいです。
それと現実的には、怒りのある状態というのは「自分の意見があるけど言えない」状態であることがほとんどなので、怒りの後は自分の意見を表明したい衝動に駆られています。ですので、怒っている時というのはクリエイター魂を発揮しやすい状態なのでしょう。何かを作る時に、怒りのような感情が揺さぶられる出来事は、不可欠であると言えます。
怒りの感情が出てくるのはしょうがないですし、出てくるのを完全に抑えるのは不可能でしょう。僕たちは人間という不完全な存在ですし。
僕が怒りを良くないと思っているのは、怒りが人に向かったときです。よく言いますよね。「厳しい指導も必要だ」とか「知らない人間は、怒らないとわからないだろう」とか。そうやって、人を攻撃することに向かいやすいので、そこを僕は抑えるべきだと思うんです。
僕は経験上、人から厳しいことを言われて為になったことがありません。仕事をする中で立場が上になるときもあるのですが、立場が上のときっていうのは、立場が下の人間に対して怒りやすいです。怒りを正当化しやすい状況でもあります。なので、すぐに怒りに逃げてしまうんですよ。
怒ったり叱ったりっていう安易な指導方法を選択しやすい。「厳しい指導も必要だ」とか「知らない人間は、怒らないとわからないだろう」という理屈をつけて。ですけど、僕はこれまでの人生のなかで、怒られたり叱られたり強く言われたりして、「ああ、確かにそのとおりだな」とか「怒られてよかった。これからは態度を変えよう」と思ったことがない。
おそらく僕みたいに、怒られて気持ちを入れ替えたことがない人って、意外といると思うんです。世の中では「厳しい指導の先に本当の人間関係がある」みたいな美談を持ち上げる風潮が見られます。厳しい指導を乗り越えて、部下と上司、先輩と後輩、先生と生徒が絆を深めるみたいな。
けれど実際は、怒りからは嫌な気分しか生まれない。怒られれば恐怖を感じるし、その恐怖でもって相手の言動を矯正しようとするのが、厳しい指導であり、「叱る」とか「怒る」です。言動を恐怖で矯正されて喜ぶなんて、人間の自然な感情とは思えません。
僕が思うのは、相手が嫌な思いをするってわかっているのに、どうして相手に対して怒らるのか、ということです。怒れば相手は嫌な思いをします。嫌な思いは避けたいものです。自分だって嫌な思いはしたくないでしょう。だったら、相手を怒るなんてことはしない方がいい。これは倫理的な問題です。自分がされて嫌なことは、相手にもするべきではありません。
が、この基本的なことが、「仕事」という環境の中だと許されると思っている人が結構いるんです。「仕事は厳しいのが当たり前だろう」とか「お金をもらってやっているんだから、怒られるのは当然だ」とか。山本五十六の言葉でもありますよね。「嫌なこともあるだろう。けどそれに耐えるのが男の修行である」みたいな。
そこが間違っているところだし、勘違いしてはいけないところだと思います。たとえ仕事でも、自分がされて嫌なことは人にしない。それは、仕事っていう環境にいたからといって、決して崩れるものでは無いのだと思います。
怒りは確かに成長に繋がります。けれど、それはモノづくりとかライティングとか、クリエイター魂を発揮する状況においてです。何かをアウトプットするときに、アウトプットの源泉になる、という意味です。
「怒りは成長につながる」なんていうと、「部下の成長を促すために怒っていい」みたいなニュアンスがありますが、それは決して違います。怒ったり叱ったり厳しく接して、それが原因で相手が成長することはありません。自分がされて嫌なことは、他人に対してするべきではありません。単純にして基本的なことです。
そして怒りを向けられることは、人間にとって嫌なことであることは揺るがない事実です。怒りを人に対しては向けるべきではないんです。
犯罪も非行も虐待も、怒りという破壊的な負の感情から生まれます。怒りの感情と距離を置いて遠くから見ることで、犯罪や非行や虐待を防ぐきっかけになるでしょう。
イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。
電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。
タイトルは、「人に優しくなれる発想法」。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。
「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。
自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。
心よりお待ちしております。
[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]
30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。
モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。
下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。
[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]
ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んで頂ければと思います。
[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]
関連する投稿
- 少年マンガの王道「維摩経」
- 頭が悪いと思われたくないなかったら、人を怒るのを止めた方がいい
- SUVに傷をつけたくない本末転倒ぶり。怒りは執着が生むものだ。
- どうしたらはんざいがなくなるかな
- 構造主義が、犯罪のない世界をつくる
現在の記事: 怒りから生じるエネルギーは成長につながると思いますか?