イライラしている上司への接し方。どうすればわかってもらえるのか
犯罪は怒りから生まれる。
犯罪、交通違反、非行、虐待。どれも怒りの感情から生まれるのだ。警察官の仕事は犯罪を扱い、交通違反を取り締まり、非行を正し、虐待を防ぐものである。が、いつもいつも警察官がこれらの仕事をしているのかというと、そうではない。警察官は、イライラしている人、怒っている人を相手にしているのだ。怒りの中の上位数パーセントが、法律や、被害者の処罰意識や、世の中の妥当性という線を越えて、犯罪となる。
犯罪、交通違反、非行、虐待。どれも怒りやイライラから生まれるのだ。
たとえば部下に怒っている上司に対して、周囲の人間はどう接すれば良いのか。その上司の怒りを鎮めるために、部下に謝らせればいいのか。そうではない。放っておくに限る。
というのは、怒りというのは人間関係のもつれから来る。上司も部下とうまくコミュニケーションがと入れていないから怒るのだ。警察官はケンカ口論をよく扱うが、ケンカ口論に置いて、どちらかが一方的に悪い、ということはない。お互いが、悪い所があるし、良い所があるのだ。どっちもどっちであり、喧嘩両成敗なのだ。
が、組織において部下と上司がうまく行かない場合、部下は「果たして自分が悪いのか、どうなのか」と悩んでいるのに対して、上司というのは「オレは悪くない」というスタンスである。わかっていない部下に対して指導するのは上司としての勤めであって、ある程度のパワハラは正当化されるのだ、という考えである。
部下が「自分にも非があるのかも」と気づいているのに対して、上司は「自分にも非があるのかも」とは微塵も思っていない。喧嘩両成敗で、「どちらかが一方的に悪いということはない」ことに気づいていないのだ。
ということは、部下よりも上司の方がタチが悪いということになる。部下の方は、自分と相手を両天秤にかけて、相手と自分と両方を視野の中に捉えてみている。それに対して、上司の中にいるのは相手だけである。自分は視野の外である。「自分が悪いことはない」と考えていて、自分自身を天秤に乗せること、自分自身が天秤に乗ることは、まったく頭にない。
上司は広い視野で見られていない。視野が狭くなっているのだ。
そんな怒りで自分が見えなくなっている、周囲が見えなくなっているひとに対してどうやって接すればいいのか。こういう人には、いくらなだめようとしてもムダである。
というのも、こういう上司に対して「悪いのはお互い様ですよ」とか「喧嘩両成敗ですよ」とか「どちらかが一方的に悪いということは無いですよ」と言ったところで、聞く耳を持たないだろう。「オレが悪いというのか!」なんていう答えが返ってくるのは、目に見えている。
結局は、気づくには自分が主体性をもって考えてはじめて気づくことができるのだ。気づくというのは、真に主体的な行為なのだ。
たとえば学校での先生の授業というのは、つまらないものの典型である。どうしてもつまらないのか。それは受け身だからである。自分から勉強しようとしてない。自分で勉強の必要性を感じ、自分で勉強したいことを見つけ、自分で好きなように勉強する。そうすることで、勉強というのは身になるのだ。
好きなことを自分の好きなように勉強することほど身になることはあるまい。身になるかどうかには、好きかどうかが大きく関わってくる。主体性に関わってくる。
真の思考は、主体性から生まれるのだ。
人から「〇〇しなさい」と言われてやったところで、それがどんなに「あなたの為を思って言っているのよ」とか「お前の為に言ってるんだ」と言われたところで、言われた方は主体的にそれをしようとしなければ、それは身になることは無いだろう。というか、強く言われれば言われるほど、やる気は起きなくなる。
基本的に怒られて喜ぶ人なんていないし、怒られれば嫌な思いをして、やる気を無くすものだ、人から言われるというのは主体性とは真逆の行為であり、主体性が伴わなければ、気づきも学びも発生しないのだ。
怒りっぽい人にいくら「あなたは怒りっぽいですよ」と伝えたところで、その真の意味は伝わらない。怒っている人に「怒るのはよくないですよ」と言ったところで、その本当の意味は伝わらない。「わかってるよ!」とか「誰が怒らせているんだ!」とか「そっちが悪いんでしょう!」という答えが返ってくるだけなのだ。
イライラしている人、怒っている人に対して、その事を指摘しようとしても、真意は伝わらない。火に油を注ぐだけなのだ。
ではどうするかというと、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざが役立つのではないだろうか。自分で気づいてもらうためには、周りの人の指摘は不要である。ただただ、周囲の状況を見てもらう他はないのだ。自分も含めた周りの状況を見てもらって、どんなに自分が滑稽なことをしているか、どんなに自分が愚かなことをやっているかを、見て、把握して、気づいてもらう他はないのである。
怒りっぽい人に対して周りの人ができることはない。ただただ放っておくに限る。
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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
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