自分も人のことを言えない。店頭から消えたマスクと、犯罪や虐待の共通点とは
店頭からマスクが消えてしばらく立ちます。我が家のマスクも底が見えてきました。で、昨日辺りからティッシュやトイレットペーパーも、店頭から姿を消しました。そのうち何もかもが買い占めされたらどうなるんですかね。
知り合いで「マスクを転売していた」という人がいたのですが、ガッカリでした。その知り合いはマスクの転売を「ビジネス」とかなんとか言っていましたが、人の弱みに乗じて商品を転売して「ビジネス」っていうのも笑っちゃいますね。
商品を作る苦労も楽しみもないし、当然そこには自分の信念やアイデンティティーも無いわけです。確かにビジネスと言えばビジネスなのかもしれませんが、本当の意味ではビジネスではない。似て非なるもの。素人童貞のようなものでしょう。
さて、インターネットでもテレビのニュースでも店頭からマスクやテイッシュが無くなっている様子を報じられているし、実際に近所の店頭から商品が無くなっている様子を見ると、「自分も買わなきゃ」と焦る気持ちが出てきます。で、「自分も」と思ってマスクやティッシュを買いに行ってしまいます。
店頭にある数少ないマスクやティッシュを買っていく人は、「買い占めしてやろう」と思って買っていくのでは無いんですよね。もしかしたら、中には買い占め目的で買っていく人もいるのかもしれませんが、ほとんどは善良な市民です。おそらく誰もが「自分の家にも在庫が少なくなってきた。だから自分は必要な分だけ買っているだけだ」と思って、列に並んでいるんです。
僕の友人も、「ティッシュを買いに行きましたが、ほとんどありませんでした。我が家は在庫がなく、本当に必要だったので買いましたが」なんて、投稿をしていました。
これ、おかしいと思いませんか? 確かに、この友人の家には本当にティッシュが無いのかもしれない。実際のところはわかりません。が、「ティッシュの買い占めするな!」なんて投稿をしておきながら、自分も現実にはお店に行ってティッシュを買っているんです。
これってなんだか自己矛盾ですよね。「お前もティッシュを買っているんじゃないか!」っていうツッコミを入れたくなります。
おそらく「お前もティッシュを買っているんじゃないか!」って、その友人に言えば、その友人は「だって自分の家には本当にティッシュがなかったから」なんて事を言うんでしょう。
誰もがまさにこの本です。
自分がやっていることと、言っていることが違うことに気づいていない。自分で言っておきながら、自分は違うことをしている。「悪口を言うな!」っていう悪口と一緒で、自分でやっていることに自分は気づいていない。
犯罪とか虐待も、これと同じようなものなんです。やっている人は、自分もそれをやっていることに気づいていない。皆んな、他人の行動には敏感だけれど、自分の行動には無頓着です。交通違反をする人も、他人の運転を見て「あの運転を取り締まれ!」とは言うのですが、自分の運転だって危険であることに気づいていない。
虐待をする人も、テレビやインターネットで虐待のニュースを見ているんです、見ていながら、「虐待なんてするものじゃない」「虐待する人は何を考えているんだろう」なんて、虐待に対して非難する気持ちを持っているはずです。そんなことを考えながら、子どもに手を出すんです。で、言い訳はこんな感じです。「自分の場合は仕方がない」「自分の場合は、世間で言われている虐待とは状況が違う」「これは虐待ではなくシツケだ」と。
マスクやティッシュの買い占めもそうだし、犯罪や虐待をする人もそうなんですけど、皆んな他人に対しては、「そんな事をするな!」と声高に言えるんです。が、そう言いながら、自分も同じことをしている。自分がやっていることは、世間で避難されていることとは別物だと思っている。自分にだけは、それをするだけの特別な理由があると思っている。
でも、傍から見ればどれも同じなんです。「マスクやティッシュの買い占めするな!」って言いながら店頭に並ぶ人。「子どもの虐待をする人は意味がわからない」なんて言いながら子どもに手を出してシツケをする人。「交通違反をするなんてどうかしている」なんて言いながら一時停止線で止まらない人。
皆んな、自分の行動が矛盾していることに気づいていない。自分を客観的に見られていない。「自分は違う」「自分には事情がある」なんて言っているけれど、皆んな同じようなことを言っているんです。だから、犯罪はなくならないし、虐待は無くならないし、店頭からマスクは消え続ける。
これを止めるには、自分を客観的に見られる姿勢が必要です。自分や自分が置かれた状況を、距離を置いて見られること。喜劇王チャップリンは、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」なんて言っています。
たとえ自分の家のマスクが少なくなっていても焦らないで、距離を置いて眺めるんです。「これはヤバい!」「一大事だ!」「買いに行かなきゃ!」なんて思わないで、「どうにかなるだろう」くらいの感覚をもって、遠くから眺めるんです。
そうすると、焦って買いに行こうとしていた少し前の自分、急いで店頭に行こうとしている近所の人、我先にとマスクに手を伸ばすお客のニュース、どれもが滑稽で喜劇に見えますよね。そうすると、落ち着いて自分を眺めることができるのではないでしょうか。「自分も人のことを言えない」と思えるはずです。
犯罪や虐待を無くす方法とは、自分を客観視できること。「自分も周りと同じことをしようとしている」と気付けること。「自分も人のことを言えない」と思えることです。マスクやティッシュの買い占めと同じなんです。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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