鍼はウソつき詐欺なのか〜代替医療解剖
科学的根拠に基づく医療
新型コロナウィルスのニュースが毎日流れている。もしも咳が出るから、熱が出るから、体がだるいからと言って医者に行ったとして、診察してもらう医者がまったくの未経験の医者だったらどうだろう。確かにその医者は、大学で医学を勉強して、試験にも通って、免許も持っているれっきとした医者である。
が、経験がまったくない。あなたがその医者にとって、患者の第一人目である。あなたはその医者に対して、自分の病気の診察を任せられるだろうか。患者を見た過去がゼロ。そんな勉強はしてきているが、経験はゼロの医者に対して、安心して自分の健康を任せられるだろうか。
僕たちは医療とか、医者とか、病院というワードを聞くと、すぐに「科学的」というイメージを想起する。科学的根拠に基づかない医療、科学的根拠を伴わない医者、科学的根拠を知らない病院、なんてものは、僕たちの「常識」としてあり得ないからだ。
が、何事もそうであるように、僕たちの「常識」だと思っていることも、ずっと昔から常識だったわけではない。コペルニクスが地動説を発見したように、フロイトが無意識を提唱したように、ある時点から常識は始まったのであって、人類が存在する以前から、はるか前から常識が存在していたわけではない。盤石の土台を敷いているように思える常識だって、いつからか始まったものなのである。
科学的根拠に基づく医療も、実はある時から始まったものである。今では「常識」とも思える、科学的根拠に基づく医療も、誰かが、何時の時点かで始めたものなのだ。決して盤石の土台なわけではない。
科学的根拠に基づく医療が始まったのは、およそ200年前、18世紀になってからである。始まりはジェイムズ・リンドというイギリスの海軍医師である。リンドは世界ではじめて対照比較試験と呼べるものを行った。
当時、イギリスの海軍では壊血病というのが流行っていた。長い航海の中で、水兵たちの歯肉が腐り、頬は硬く腫れ上がり、体のいたる所にあざができる。そんな病気に悩まされていたのである。が、解決方法がわからなかった。今でなら、これはビタミンCの欠乏だと知っているので、フルーツなどを摂取すれば簡単に解決できる。
が、当時はそれがわからなかったので、壊血病に対して色々な治療が試みられた。当時の治療方法で、奥の手は「しゃ血」である。しゃ血とは、古代ギリシャの時代から伝わる伝統療法で、手首などを切って血を流すというおぞましいものである。当時はまだこのしゃ血が信じられていたのだ。
今でなら血液不足で死んでしまう可能性もあると子どもでもわかりそうなものだが、ヨーロッパではこのしゃ血が随分と広い範囲で信じられていたらしい。病気は体液のバランスが崩れることで起きる。なので、血を流してバランスを整えてやる、というびっくりの理屈である。
リンドは、病気になった水兵ごとに、治療方法を変えてみたのだ。「誰が治癒して誰が悪化したかを見れば、どの治療法に効果があり、どれにはないかわかるだろう」という、いまでなら当たり前のことに気づいたのである。それは、従来の医療習慣からの脱却である。
リンドは患者を同じ環境に起き、同じ食事を与えて公正を期した。リンゴ果汁を与える患者グループ、硫酸塩のアルコール溶液を与える患者グループ、酢を与える患者グループ、海水を与える患者グループ、ニンニクやラディッシュなどの薬用ペーストを与えるグループ、オレンジとレモンを与えるグループにそれぞれ分けて、経過を観察したのである。
その結果、オレンジとレモンを与えたグループが、目覚ましく回復したので、「理由はわからないが壊血病にはオレンジとレモンがいい」という話になった。リンゴ果汁のグループにも少しの回復が見られたが、おそらく製造の過程でビタミンCが飛んでいたのだと思われる。
ちなみに、しゃ血にいして対照比較試験が行われたのは、19世紀の初めである。ハミルトンというスコットランド人の軍医によってである。さまざまな病気をもつ366人の患者兵士を3つグループに分けて治療を施した。その結果、しゃ血を行わないで治療した2つのグループでは、死人がそれぞれ2人と4人だったのに対し、しゃ血を施したグループでは死人が35人にも上ったのである。
このハミルトンの試験は試験が公正になるように行われた。ランダム化である。順番に、別け隔てなく治療群と対象群に患者を割り振ったのである。今日ではランダム化臨床試験と呼ばれる。
さらにはフローレンス・ナイチンゲールにも触れておこう。彼女は信頼性の高いデータで自身の説を武装することで、当時男性優位だった医療界で勝利し、歴史に刻んだのである。
彼女が従事したのはクリミア戦争である。収容された多くの兵士がコレラとマラリアで倒れているトルコの病院に行き、衛生環境を変えたのだ。まっとうな食事を出し、清潔なシーツを使い、排水管を掃除した。手押し車215台分の汚物の運び出し、19回もの下水道の洗い流し、病院の敷地内にいた馬2頭、牛1頭、犬4匹を土に埋めた。
その結果、1855年2月の時点で、43パーセントだった病院に収容された兵士の死亡率が、同年の6月には2パーセントに劇的に低下したのである。
プラセボ効果
常識が発見された瞬間を知るのは、本を読んでいて面白いものである。常識が発見された瞬間とは、歴史がひっくり返されるときである。おそらくそれは、徐々にひっくり返ってゆくのだろう。リンドが「壊血病にはレモンとオレンジ」を発見したときも、周りは伝統的医療を重んじる敵ばかりだったという。それから200年をかけて、徐々に臨床試験やデータ重視というものが医療界に浸透していったのだ。
時間が過ぎて、時代を経て気づけば、すっかりひっくり返っている後ではあるが、ゆっくりと時間をかけてひっくり返った常識にも、それが始まった時点あるのである。それを発見した時、本を読んでいる読者の僕としては、なんとも言い難い爽快感に襲われる。体の皮膚が剥がれ落ちたような、一皮むけた快感だ。
プラセボ効果とは、「想像するだけで、病気に対して多大な影響が及ぶ」というものだ。子どもの頃、よく年配の人から「病気は気から」なんて言われなかっただろうか。あれは本当だったのである。
ヘイガースというイギリスの医師が、「身体疾患の原因と治癒における想像力について」という著書を書いたのは1800年である。1796年に、アメリカ合衆国憲法制定後、医療の分野ではじめて特許が与えられた。パーキンスという医師に与えられた、トラクター(引っ張るもの)という名前の治療方法である。
パーキンスは、2本の金属の棒(トラクター)を使って、患部をこすり、痛みをとっていたというのだ。彼いわく、「苦痛の根源である有害な電気の流れを引っ張って取り除く」らしいのだ。これをイカサマだと証明したのが、ヘイガースなのだ。ヘイガースは、高額で希少な金属からできているというパーキンスのトラクターと、本物と特別のつかない偽物のトラクターを使って、患者たちに治療を施したのだ。そうすると、偽物のトラクターで治療した患者すらも、痛みの改善を申し出たという。
面白いのは、ヘイガースがプラセボ効果は単なる見せかけにとどまらないことに気づき、本物の治療効果として一役演じていると論じたことである。信頼している医師から治療してもらった場合、信頼している薬を処方してもらった場合、本物の効き目におまけとしてプラセボ効果がついてくる。プラセボ効果を大きくする要因として、彼は
・医師の評判が高いこと
・治療費が高いこと
・治療法が目新しいこと
を挙げている。
実際、ヘイガースの試験以前から、プラセボ効果に医師たちは気づいており、こっそりと利用したという。が、それでもプラセボ効果についてはじめて本を著し、その秘密を明らかにしたことが、ヘイガースの功績である。
その後、19世紀を通じて、プラセボ効果が厳密に調べられた。それまでごく普通に用いられていた治療法の中にも、ほとんどプラセボ効果のみの利益だった場合も明らかになっていったのである。
代替医療は悪なのか
この本は、代替医療を解剖しようという本である。代替医療とは、現代西洋医学以外の医療のことを言い、現代西洋医療とは、臨床試験による証明を経ている、科学的根拠に基づく医療である。鍼とか、カイロプラティックとか、ホメオパシーのような、医療だか何なのかわからない立ち位置のものに対し、臨床試験をしたらどうなるのか、についてまとめられたのが本書である。
で、結果としては、「ほとんどの代替医療についてプラセボ効果以上の効果はなかった」というのが行き着いた結果である。そこで考えたいのが、では代替医療は悪なのか、ということである。僕たち日本人にとっては鍼が身近な代替医療であるが、鍼にはほとんどのケース(あくまで「ほとんど」であって、例外も無くはない。その辺りも本書には詳しく記載されている)において、心理的な効果しかないことがわかっている。効果があると思い込んでいるが故に、鍼の後に体調が良くなるのだ。
が、それが何だというのだ。信じるものが救われるのであれば、それで代替医療の存在を正当化できるのではないだろうか。患者に希望と安心を与えるのであれば、プラセボとして使っても良さそうに思えるじゃないか。代替医療を受け理れる十分な理由に思えるじゃないか。
それに対し、本書の著者はあくまで「プラセボに基づく代替医療は用いるべきではない」という立場である。それはどうしてなのか。理由の大きくは2つである。
1つは、医師と患者との関係が、嘘のない誠実なものであってほしいからである。十分なインフォームドコンセントに基づいて、医師と患者が関係を構築する、というのが現代の流れである。確かに医療に効果が認められなかった昔の時代には、患者に信じ込ませることによって病気を治そうとした時代があったのかもしれない。けれど、もう一度そんな時代に戻っては、医者は嘘の上に成り立つ詐欺師のような職業になってしまう。
長い年月、努力と苦労、悲しみと喜びで築き上げた「医者」という存在の信頼が、まっさらに無くなってしまう可能性があるからだ。
プラセボ効果に頼っては、全く効果のない医療を「効果がある」とする詐欺師も出てくるだろう。偽物を売り込んで商売をしよう、儲けようと考える人間が出てくる。「ホメオパスのくれる砂糖粒には何の効果も含まれていないのだから、体には毒にならないだろう。むしろ危険なのは、人の心を毒すること」なのだ。
もう1つは、言われてみれば簡単なことである。「効果の証明された薬にはプラセボ効果がついてくるのに、どうしてプラセボ効果しかない薬を使う必要があるのだろうか」ということだ。通常の医療を使えば、通常の効果プラス、プラセボである。なのに代替医療ではプラセボ効果しかついてこない。だったら代替医療を利用する理由はないのである。
本書では、「患者にプラセボ効果を及ぼすことのできない医師は、病理学者になるべきだ」という言葉も紹介されている。単純に一本の線を引くのが難しいのだ。プラセボ効果だけの医療では信用に値しない。けれど、プラセボ効果が必要なのかと言うとそうでもない。
頭の良さそうな医者、権威のありそうな病院、高価そうな薬。そのどれもが、治療には必要なのである。だいたい、通常医療の医師とは大抵の場合、無愛想である。医療界という社会の構造が、医師と患者との信頼を気づきにくいものになっている様である。もっと長い時間をかけてじっくりとお互いに向き合えるようであれば信頼関係もつくれそうなものであるが、そうでもないのだ。
そこで出てくるのが、代替医療という選択肢である。代替医療の社会は大抵の場合、通常医療に比べて患者に優しい。ナチュラルで、トラディッショナルで、ホーリスティックだ。もし通常医療の医者から無機質に「薬を飲んでおけば治りますよ」なんて言われて処方箋を渡されて、それだけだったなら、それよりも代替医療の関係者から手厚く迎え入れられた方が、よっぽど患者は安心してしまうだろう。
「心はパラシュートに似ている。開いたときしか役に立たない」と言ったのは、スコットランドのウィスキー製造者トマス・デュアーという人だそうだ。疑うだけでなく、十分に吟味する事が必要なのだ。もしも懐疑的なだけなら、新しいアイディアは一つも理解できない。気むずかしい老人になってしまう。
代替医療と接する際に、鍵になるのは臨床試験である。患者をランダムに選び、公正な条件で比較するのだ。多くの人たちにより磨き上げられてきた臨床試験は、真実を検証する方法としてはシンプルかつ強力である。それは、心を開くと同時に懐疑的であろうと努め、得られるかぎりもっとも質の高い科学的根拠にもとづいて引き出された、本書の結論である。
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