頭が悪いと思われたくないなかったら、人を怒るのを止めた方がいい

2020.12.21 (月)

職場でもどこでも他人に対して怒る人はいるけれど、僕はそんな人を見る度に頭が悪いなと思う。

 

 

仕事では怒っている人が頻繁にいる。「パワハラ」という言葉が浸透した今でも、「仕事で怒るのは仕方がない」という考えを持っている人が根強く存在しているのだ。いわば、仕事というのは聖域になっている。「仕事」であれば、「仕事ができない者に怒るのは当たり前だろう」と思っている人間がまだまだいるのだ。人を怒るのは許されない場合が多いけど、仕事なら「指導」と紙一重だし許されるという考えがまだあるのだ。

 

 

僕はこの考えに反対である。というのも、仕事でもなんでも他人に不快感を与えておいて許されるはずはない。これは倫理や道徳の問題である。確かに人は怒られてようやく真剣に考えるのかもしれない。不真面目な人間に対して手っ取り早く真面目に仕事をさせる方法が「怒る」という行為なのかもしれない。けれど、果たして相手を不快にさせることは、仕事よりも優先されるのだろうか。仕事をすることは、怒ることよりもそんなに大事なことなのだろうか。

 

 

怒るということは、実はとても頭の悪いことなのだ。すぐに怒る人は、怒ることで自分の無能ぶりを証明している。そのいかに自分の頭の悪さを露呈しているかわかっていないから、怒る人は「相手を不快にさせても怒らなければならない」なんて思うのだ。見えていないがゆえに、相手を不快にすることよりも怒って仕事をさせることを優先するのだ。

 

 

怒るとはどういうことか。それは、想像力が足りないことを意味している。「自分は視野が狭い」と言っているのも同じだ。たとえば職場で怒る人がよく言うセリフが、「そんなの常識だろう」である。怒る人にとっては答えが簡単すぎて、問題にもならないこと。自分には簡単に正解がわかるのに、正解がわからない。すぐには問題を解けない人に対して、怒る人は「こんな問題はできて当たり前だ」の意味で「そんなの常識だろう」と言う。解けることがスタンダード。答えは簡単でわかりきっっている。とでも言わんばかりだ。

 

 

けれど、本当に誰でもわかるような簡単な問いというのは存在しているのだろうか。よくよく考えてみると、世の中の問いの大部分は簡単には答えが出せないようなものばかりだ。怒る人は、道が一本しか見えていない状態なのだろう。世の中にある問題は、アプローチの仕方が1つであるとは限らない。複数あるのが普通だ。富士山の頂上に登る方法だって1つではない。いくつものルートがある。そんなルートに加えて、選択肢もたくさんある。持ち物はどうするか。休憩ポイントはどこにするか。時間はどうするか。そんな無限に近い選択肢が、富士山への登山だけでなく、社会に転がっている問題には存在しているのだ。

 

 

「常識だろう」とか「当たり前だろう」と他人に怒る人は、選択肢が一つしか見えていないから「こんな簡単な問題がわからないなんて!」と怒りを露わにする。

 

 

怒らない人というのは、いくつも選択肢があって、簡単に「これだ」と言えるようなものではないことをわかっているから、安易に人に対して「そんなの当たり前だろう」とは言えないのだ。目の前にある問題に対して、単純な解決方法が存在するだけではないことが見えている。解き方が複数あることがわかっている。しかもどの解き方が最適かは無限に近い変数の中から決めなくてはならない。簡単なことではないのだ。

 

 

すぐに怒ってしまう人は、答えに至るルートが一つしか見えない。想像力が足りないのだ。自分で問題を勝手に簡単なものだと決めつけている。

 

 

それに対して、怒らない人ほど視野が広い。あらゆる可能性を考えている。「あっちのルートもある」「こんな解き方もある」とわかっている。

 

 

それに、怒らない人は疑り深い。安易に「これは簡単な問題で、迷う必要はない」などと思わない。今直面している問題が簡単に見える時は、「自分にはわかっていないことがあるのではないか」「自分には見えない解き方がまだ存在してるのではないか」と想像するところから始める。この、「自分にはわかっていないことが多い」という感覚が、謙虚さであり、視野の広さであり、頭の良さなのだ。自分はなんでもわかっていると思っていたら答えは決まっているし、簡単に問題を解けない人を怒りたくもなるのだけど、怒らない人は色々と選択肢がありすぎって怒れないのだ。すぐに怒る人よりも多くのアプローチ方法が見えて、あるいは「他にもあるのではないか」と思えて、自分に自信が持てないのだ。

 

 

自分に自信が持てない人は、視野が広い人だとも言える。視野の広さは自信のなさだ。怒らない人は、安易に相手を責めたりしない。責めることができないのだ。それは自分に自信が持てないから。「自分には見えないもが存在している」ことをわかっているから。

 

 

視野が広いからこそ、怒れないのだ。だから、すぐに起こる人は視野の狭さをみずから露呈してしまっているようなもの。見聞がせまく、ある限定された範囲しか見ることができないと言っているようなもの。怒らない人よりも、見えている範囲は極端に狭いはずだ。

 

 

怒らない人というのは、視野が広く、物事の裏の裏まで見ようとしている人だ。自分が見えている以外にも広い世界があることがわかっているからこそ怒らない。無知の知だ。

 

 


 

 

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