淡白な表現にならず、読者の心を揺さぶるには〜形容詞を使わない大人の文章表現

2020.05.28 (木)

 

文章を書いていると、「なんだか淡白だなあ」とか「どうしてこんなにあっさりとしているんだろう」なんて思うことはないだろうか。

 

 

「これはうまい」と唸らせるような文章は、重厚である。確かに「シンプルな表現がいい」とか「論理的なわかりやすい文章が好まれる」という意見もあるように、文章表現の良し悪しも色々ではある。けれど、味のある文章とか、心を動かされる文章表現というと、シンプルであるばかりではいられない。

 

 

これでもかと状況を文字で描く。外側の世界観や、内側の世界観を、文字で細かく書き表すのだ。それでいて長さを感じさせない。ズラズラと2000字や5000字も書かれているのに、続きを読みたくて仕方がなくなる。目で文字を追っているのに疲れない。

 

 

ある執筆家の人が、「『読む』とはストレス行為である」と言っていたが、僕もそう思う。

 

 

小学生の時に、国語の授業がつまらないと思った事がある人はたくさんいると思う。国語の教科書など、文字がずらずらと印刷されている冊子に辟易した経験は、多く人が体験しているだろう。

 

 

あの国語をつまらないと思う心情、教科書を読むのが面倒だと思う怠惰な心が、人間として純粋なのだ。それが人の素直な気持ちなのだ。だから、できるだけストレスを軽減させるように、読者がストレスをごまかせるように、読者が楽しめるように、書き手は文章を書かなければならない。

 

 

その方法を、本書では「形容詞を使わない」という一本線のもとに示している。「なぜ形容詞?」と思う人もいるだろう。「どうして形容詞が悪者扱いされるのだろう?」と感じる人もいるだろう。

 

 

僕も本書を読むまで気づかなかったし、本書を読んで「なるほど」と思ったのだが、形容詞はストレートなのだ。形容詞は、見ている世界、それと感情をダイレクトに表現できる。

 

 

丸い、赤い、重い、大きい、多い、遠い、難しい‥

嬉しい、つらい、恐ろしい、苦しい、明るい、まずい、暑い‥

 

 

確かに形容詞は便利である。目の前に広がる世界を直で表現できるし、感情を言葉にするのに都合がいい。

 

 

けれど結局は言葉であって、決められた型でしかない。表現豊かであると言われている日本語でも、型が無限にあるのではないので、決められた型である形容詞に頼っていると、いつのまにか他の可能性を探すことをしなくなってしまうのだ。

 

 

もうすぐ日が暮れるという時間、目の間に広がる山々の間から、ぱあっとした色が広がっている。火のような、神社の鳥居のような、そんな色だ。「それって『赤い』ってことでしょ?」と言ってしまえばそれまでなのだが、それでは文章が蛋白止まりである。広がりがないし、重厚さがない。

 

 

心が弾むようで、気持ちが前向きになる。明日が来るのが楽しみになって、自分も含めて誰もが幸福の中にいるように感じる。「それって『楽しい』ってことでしょ?」と言ってしまえばそれまでなのだが、それでは面白くないのだ。無限の広がりであって混沌である心の中を、「楽しい」という言葉に安易に当てはめる行為でしか無いのだ。

 

 

とりわけ僕が、「また何度でも読んで勉強したい」と思ったのは、「形容詞を使わずに、状況をひたすら書き込む」というアドバイスである。本書では、「『せつない』ってどういうこと?」「『はかない』ってどういうこと?」という問いに答えることで、「ひたすら書き込む」ことを表していた。

 

 

「形容詞を動詞に変えて、出来事として描写したときにはじめて読み手に気持ちが伝わる」

「形容詞は出来事の結果として生じた感情なので、その感情を表したければ、結果の原因となった出来事そのものを描くしか無い」

 

 

例えば僕はさっき電車の中で、年配の人に席をゆずる若者を見て「優しい」という気持ちが湧いたのだが、僕が「若者を見て優しいと思った」と文章に書いたところで、読者は同じように「優しいね」とか「優しい若者だね」とは思わない。「優しい」とは、僕の心のなかに表れた感情だからだ。

 

 

僕の心の中に表れた「優しい」という感情、その感情が表れたときに、目の前にあった状況を伝えなけれあ、読者は同じような感情を持ってくれないのだ。

 

 

映画を見てきて面白かったからと言って、他の人に「面白かったよ」と伝えたところで、言われた方は面白くない。どんな俳優で、どんなストーリーで、どんな画面効果で、なんてことを伝えなければ、実際にその映画を見ていない人にとっては、気持ちは動かされないのだ。

 

 

読者に、同じように体験を与えなければならない。自分が体験した感動を「感動した」と伝えるのではなく、追体験させてやるのだ。体験した経験を、紙の上に文字で再現してやらなければならないのだ。そうやってはじめて読者は、書き手と同じように感動できるのだろう。

 

 

なるほど、確かにこんなことをしようとすると、形容詞ばかりは使っていられないし、淡白ではいられなくなる。文字数だって必要だし、紙面も必要になる。

 

 

「形容詞を避けることが表現力向上の基本」なのだ。大雑把な発想、自己中心的な発想、ストレートな発想を避け、読み手の心を動かすには、脱・形容詞なのだ。

 

 

 


 

 

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