子どもの非行を防ぐには、常識をくつがえすための機会を増やす

2020.02.22 (土)

「当たり前を疑え」「常識にとらわれない」なんてよく言われますよね。この言葉っていうのはよく聞くんですけど、自分から意識的に実践することはできません。「常識にとらわれない機会を増やす」とか「当たり前を覆す機会を増やす」ことしかできないんでしょうね。

 

 

というのも、例えば「この世がどうなっているのか」とか「この宇宙がどうなっているのか」なんてのが決して考えつかないように、そこまで思考が働かないように、です。「常識」とか「当たり前」っていうのは、物事を考える際に前提となっているものだと思うんですけど、本当の意味での前提は、前提となっていることすら気づかないようなことなのだと思います。

 

 

それが前提であることを気づいたなら、それが前提になっていることがわかったならば、その時点でそれはもはや前提じゃありませんから。それが前提になっていることが知ったら、それが前提でない視点もできます。本当の前提は、もはや思考が及ばないところであって、自分でどうこうできるわけではないんです。

 

 

じゃあどうすればいいのか。指をくわえて待っているしかないのかというとそうでもなくて、前提を見つける機会を増やすことはできるのだと思います。それが本を読むことであって、人の話を聞くことであって、視野を広げることです。本を読むことが、人の話を聞くことが、直接に常識や当たり前を覆す、つまり前提となっているものを見つけてくれるのかというと、そうではないのですが、その機会を作ってはくれると思います。

 

 

 

特に僕の場合は、本を読んでいる時に前提となっているものに気づくことが多いです。自分がそれまで前提にしていたものを、「それって前提だよ」と教えてくれるのが、僕にとっては本なんです。

 

 

「科学的根拠に基づく医療」って、意識したことあります? 科学的根拠に基づく医療なんて、当たり前だと思っていませんか? だって、医者は科学的根拠に基づいて診療をするのだろうし、薬は科学的根拠に基づいて処方されるだろうし、治療は科学的根拠に基づいてなされるものだからです。「そんなもの当たり前だろ」と思ったあなた、実は違うんです。

 

 

科学的根拠に基づいた医療っていう概念は実は新しい概念で、ここ200年前くらいから広まってきた考えなんです。18世紀ごろから徐々に、「科学的根拠に基づいた医療」っていう考えが確立されて、信頼を築いて来たんです。

 

 

じゃあその前はどうなのか。18世紀より以前はどうだったのかというと、科学的根拠のない医療が横行していたんです。「横行していた」なんて書くと、なんだか悪いことが流行しているかのような感じですが、当時の人々は、「科学的根拠に基づいた医療」なんて、そんな頭はなかったんです。科学的根拠に基づかない医療が悪いことではなかった。といっても、この事自体はそんなにおかしいことではないんです。今も科学的根拠に基づいていない医療はたくさんありません。鍼(はり)とか、指圧とか、マッサージとか、ホメオパシーとか、瞑想とか。

 

 

「代替医療」と呼ばれるものです。これらの代替医療は、現代西洋科学ではない医療のことで、現代西洋科学とは科学的根拠に基づいているものなんです。ですから、代替医療とは、科学的根拠に基づいていない医療を言います。

 

 

当然、18世紀以前は、偽物の医療を人々は医療として受け入れていました。瀉血(しゃけつ)って知ってますか? 体の血を流すっていうやり方の、万病に効くって言われていた治療方法です。この瀉血の起源は古代ギリシャにありまして、当時は、病気が体液のバランスが崩れることによるものだと信じられていたんです。だから病気を直すには、体液を流して体のバランスを取ってやればいい。腕なんかにキズをつけてちを流すことが治療になると信じられていたんです。

 

 

でも、「それって本当?」「それって根拠ないんじゃないの?」「効かないんじゃないの?」っていう考えが広がって、18世紀に臨床試験というのが始まった。臨床試験っていうのは、薬なり治療法なりが、本当に効果があるものかどうかを試験することです。調べたい薬や治療法を施すグループと、そうでないグループをつくって、施す薬や治療法以外の条件を同じにして、病気が直るかどうか実験するんです。

 

 

こうすることで、信用に値する薬なのか治療法なのかを調べるんですが、そんなの現代の僕たちからすると当たり前ですよね。でもこれら臨床試験、科学的根拠っていう概念が出てきて、それが何なのか、どうすればそれが実践できるのか。そんな風に確立していったのが、18世紀から20世紀にかけてなんです。

 

 

っていう歴史が、この「代替医療解剖」っていう本に書いてありました。

 

 

子どもには常識に囚われない人生を歩んでほしいです。常識にとらわれていては新しい発見ができませんし、自分が不幸であることにも気づかないかもしれない。それには前提となっていることを見つける作業が必要です。

 

 

本を読んでいると、たまにこういった面白い本に出会うので、知らずしらずのうちに前提としていたモノを「それって前提だよ」と教えてくれます。科学的根拠に基づいた医療なんて、健康に生きる現代人にとっては当たり前で、常識だと思っていたんですが、これって僕たちが医療を考える際の前提だったんですね。

 

 

 

 

 


 

 

 

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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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