子どもに教える正しさとは何か。どうすれば幸福になるのか

2020.02.23 (日)

子どもたちには正しい人間になってほしいですし、僕たち親も、子どもたちの見本になるように「正しく生活しよう」「正しく生きよう」と思って日々を過ごしています。

 

 

ですが、「正しさ」なんて本当にあるのでしょうか。「正しさ」とは一体、何なのでしょうか。

 

 

簡単に思いつくのが、「正しさなんて人それぞれだろう」という考えです。世界には何億人という人たちがいて、それぞれがアイデンティティーを持っています。そんな多種多様な人たちを、一括にできるような一つの考えなんて存在しない。それが人それぞれだということでしょうが、本当にそうなのでしょうか。

 

 

人それぞれっていうのは、確かに争いごとを無くすという意味では、いい考えだと思います。人それぞれだという見地に立てば、言い争うことやどちらか一つを選択しようとする事自体が無意味になるので、平和的な考えだといえるでしょう。

 

 

でも、本当に正しさとは人それぞれなのでしょうか。「コレ」と言えるような正しさとはないのでしょうか。人が正しい道を歩もうとする時に、指針となるようなもの、方向を教えてくれるようなものはないのでしょうか。

 

 

こんな問いに対する一つの考えを紹介します。18世紀から19世紀にかけて活躍したイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムは、功利主義を唱えました。これは、「最大多数の最大幸福」というキャッチフレーズがよく知られています。社会というのを個人の集まりと考え、各個人の幸福が最大になるように行動することが、正しい生き方だと考えたのです。

 

 

ベンサムは、快楽を増すことが人にとって幸福であり、正しい生き方だと考えたのです。人は生きている時に、快楽計算をして生きています。人は誰でも快楽を欲しがります。頑張るのは、今は苦しくても、頑張る先に楽しい未来が待っていると計算するからです。ゲームをしないで面白くない勉強をするのは、勉強をした先の将来にゲーム以上の幸せがあると考えるからです。僕たちは、快楽計算をして、幸福量があがるような生き方をしているのです。

 

 

自分一人ではそれで良いのでしょうが、では社会の中で、僕たちはどう振る舞うべきでしょうか。例えば、今僕の目の前に肉まんが一個あります。僕は肉まんが好きではないのですが、この肉まんを食べると僕の幸福度がアップするとします。が、僕の隣に、大の肉まん好きがいるとします。そうしたら、僕はこの隣の人に肉まんを上げるのが正しい生き方なのでしょう。というのも、肉まん好きの人が肉まんを食べれば、アップする幸福度は僕よりも多いはずですから。

 

 

さらに、肉まんを一人に与えるのではなく、この肉まんを多くの人に分け与えるのが正しい生き方なのでしょう。一人の幸福度がアップするよりも、幸福度がアップする要因を多くの人に振りまいたほうが、社会全体のアップする幸福度は高いと考えられるからです。

 

 

こんな風に考えると、功利主義っていうのは周りを幸福にするってことにも繋がりますし、なんだか正しいことを言っているようにも思えます。が、功利主義にも欠点はあります。

 

 

まず、快楽計算が難しいことです。人によって何に快楽を感じるかが違うので、客観的な基準を示すことができません。例えば僕は車が嫌いで、車は犯罪や悪の根源だと思っています。僕は社会の幸福度をアップするには車を世の中から無くすことだと考えています。が、おそらくこの考えは、多くの人には共感されないでしょう。多くの人は車に対してステータスを感じたり実用性を感じたりしているので、車を世の中から無くしたほうがいいと考える人は稀でしょう。

 

 

私が幸福度が高まると思って行動しても、それは間違った行動になるのです。

 

 

それに功利主義は、個人をないがしろにしてしまいます。例えば臓器提供です。個人が犠牲になって、その代わりに多く人が幸せになるのなら、一人ひとりの個人は犠牲になるべきです。一つの体からいくつかの臓器の提供を受けて助かる体があるのなら、講義主義に即して考えれば、臓器を提供するべきでしょう。一つの体を犠牲にして、脳みそはAさんへ、眼球はBさんへ、心臓はCさんへ……のように、より多くの個人を幸せにするために、個人を犠牲にすべきでしょう。

 

 

こんな風に、極端な功利主義は個人を犠牲にしてしまいます。

 

 

このように哲学の世界には、「正しいとは何か」「人はどうすれば正しく生きていけるのか」などと考えた人たちがたくさんいます。僕たちも子育てをする際、どうすれば子どもを正しく成長させられるのか、なんて考えると思うのですが、その答えは哲学にあるのかもしれません。

 

 

「机上の空論」なんて揶揄されがちな哲学ですが、それは哲学が根本的な問いを考えるものであり、それは何にでも応用が効くからです。表面的な個別具体的な解決方法ではなく、人生という大きなテーマを扱った分野が哲学だからです。

 

 

確かに、哲学を考えているだけでは実践できませんが、自分の具体的な行動との繋がりを見つけられると、これほど使える分野は無いとも思います。哲学のような思想と、自分の実生活の共通点を見つけられる様になると、哲学のような抽象的なジャンルの本も面白く感じると思うので、子育てをしてる人にこそ、おすすめの分野と言えます。

 

 

 

 

 


 

 

 

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