神が宿っていたのはヘレニズムだった〜西洋古代中世哲学
「神は細部に宿る」という言葉がある。誰が言い始めたのかはハッキリしない。ドイツの近代建築家の言葉だという説もあれば、もっと前の時代の人間、ニーチェやアインシュタインも使っていたという説もあって、出自はどこかわからない。
細部っていうのは具体的は部分なので、「具体にとらわれていると本質が見えなくなる」と思っている僕にとっては、自分の考えに反する言葉だ。けれど、「細部っていう一見、具体に思える部分こそが本質」とも思えなくもないし、細部を「見えにくい部分」と考えると、細部こそが本質であるとなおさら考えられなくもない。
僕は格闘技が好きなのだけれど、総合格闘技で大事なのは「際(きわ)」だというのをよく聞くことがある。格闘技の際にもいろいろな考え方があるけれど、繋ぎの部分である。「入り際」とか「離れ際」とか。立ち技打撃から始まって、投げを経て、寝技へと移っていくのが総合格闘技の大まかな流れなのだけれど、見ていてあんまり意識されず、地味なのが「投げ」である。
総合格闘技というと、打撃をするシーン、寝技のシーンは思い浮かべるけれど、投げのシーンはあんまり記憶に残らない。「投げ」と言っても、実際には柔道の様な華麗なものではなく、もっと土臭いものである。タックルで足をとって転ばせたり、お互いにもつれて転んだり、どちらかが打撃で倒れた時にグラウンドになったり。
そんな地味な際の攻防が、総合格闘技では重要で、ここが強いと立ちでの打撃や、寝技にも有利、ということになる。組み付かれても簡単には倒れないなら、どっしりと構えて打撃に専念できるだろうし。最初にいいポジションを取られないのであれば、寝技もずいぶんと有利に運べると思う。
総合格闘技においても、「際」という細部に神は宿るのである。
際の重要性は、仕事においても言えることである。「細かいところにも気を使え」という意味ではなく、僕の場合は、「部署と部署の間」という意味での際だ。
組織で仕事をしていると、組織の中の自分の立ち位置というのを意識することになる。自分の立ち位置を意識するから大勢で仕事を進められるので、その事自体は悪くない。けれど、自分の立ち位置や自分のポジションに逃げるようになると、これは弊害と化してくる。
組織はハッキリとセクションに別れていれど、やってくる仕事はハッキリとセクションごとに別れていない事が多い。どの部署が扱う仕事なのか、やってくる仕事が自分たちにとって都合よく別れているはずがない。けれど、自分たちの組織に慣れてしまっている人は、頭がもうセクションという型を持って見るしかなくなっている。頭が固くなって、このセクションを外して見ることができなくなっている。
だから、「自分たちの仕事ではない」といって仕事を他に投げる「たらい回し」が発生するし、同じ組織内の部署間攻防であるセクショナリズムが発生する。
セクションをハッキリさせていると、自分たちの仕事の範囲がわかりやすく、その範囲内でまずは仕事をすればいいので、自分たちの部署内の仕事には明るくなるが、それ以外の仕事には疎くなる。仮面をかぶりやすくもなる。本当は仕事全体を見る目が無いだけなのに、「自分たちの仕事ではないから」と言って、自分にとってドンピシャの仕事以外はハネるようになる。
僕が思う仕事ができる人というのは、際に強い人だ。自分たちの部署が扱う仕事なのかどうかわからないようなハッキリしない仕事がやってきた時に、適切に対応できることだ。自分の殻に逃げないこと。たらい回しをしない、とも言える。
警察組織は自分たちの殻に逃げやすく、やってくる仕事に対して「それは自分の仕事ではない」なんて言う人が当たり前にいるけれど、見ていて仕事ができる人とは、「どう扱ったらいいのか」「どこの部署が扱ったらいいのか」すらわからない曖昧な仕事をうまく処理できる人だ。
仕事においても、際という細部に神は宿るのである。
さて、「西洋古代中世哲学史」の目次はおおまかに、下記のようになっている。
第一編 古代哲学
ソクラテス以前の哲学〜宇宙論の時代
ソクラテスとその次代の哲学〜人間学の時代
プラトンとアリストテレス〜体系時代の哲学
アリストテレス以後の哲学〜倫理時代と宗教時代の哲学
第二編 中世哲学
教父哲学
スコラ哲学(前期スコラ哲学、盛期スコラ哲学、後期スコラ哲学)
全約300ページある本であるが、わずか10ページほどの「アリストテレス以後の哲学〜倫理時代と宗教時代との哲学」が特に面白かった。
古代ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレスを知っている人は多いと思う。キリスト教を知らない人はいないだろう。けれど、古代ギリシャとキリスト教の間に挟まれたごく僅かな時代に、現代人‥というか今の僕にとってかもしれないけれど、含蓄に富む哲学諸派が存在していたのだ。
それは、新宿というコンクリートジャングルの中の、路地裏にある小さな飲み屋のような存在。立ち技と寝技の間にあるこかし合いのような存在。「際」であって、細部である。
マケドニアのアレクサンドロス大王によって世界帝国ができ、それまでポリスの中にとどまっていたギリシア人たちは、世界の中に放り出されることになった。時代がうねり変化するようになり、論理で持って「何が始まりだったのか」「この世界は何でできているのか」なんてことを考えている余裕はなくなったのではないか。
自分たちとは違う文化を持つ人々との接触の機会が増し、世界的な範囲で戦いや小競り合いが発生していったのだと思われる。そんな中で必要なのは、「どう生きるか」だった。弱肉強食、無情。当時の西洋人は待ったなしの生活の中で、「何が正しいのか」「どこに善さがあるのか」という答えを出す必要性に迫られていたのかもしれない。
この時代の哲学の主な学派として、ストア派、エピクロス派、懐疑派、折衷派、新プラトン派があげられる。
ストア派は、賢人を理想とする教説である。賢人とは理性でもって情念を抑えられる人間である。僕はセネカの「怒りについて」が大好きだが、怒りのような感情は、言葉のような理性でもって抑えられるのだ。
「怒りの原因よりも怒りそのものの方が悪い」ということをセネカは「怒りについて」の中で言っているが、こんなコトを言われると、「だってきっかけを作ったのはそっちじゃないか」なんて言って相手に怒りをぶつけることが、頭の悪い人間のやることに思えてくるだろう。
エピクロス派はクリエイティブに生きることを求めたのかもしれない。快楽主義なんて言われるけれど、クリエイティブな仕事は発想が大事なのであって、発想は自分のモチベーションが高まっている時に閃きやすい。本書には「詩人や芸術家にふさわしい生活理想をかかげた」と記載されている。宗教にこだわらず、むしろ宗教を人間の不幸の元だと主張した。死を神聖視せず、単なる「アトムの分散」と考えれば、必要以上にビビることもなくなり、前向きにクリエイティブに人生を謳歌することができるということだろう。
懐疑派は、距離をおくことを説いたらしい。「われわれが心の平和をみだされるのは、不確実なことについて断定を下すためであるから、われわれはいっさいのことについて判断を停止して、『無関心』『むとんちゃく』となるとき、われわれはなにごとにも心を乱されることなく、真の『安静』を得ることができる」のだ。「そうだ」と思うことを疑って、ハッキリとした判断を差し控えるから、「懐疑」派なのだろうか。
ギリシャ生まれの諸学派を、ローマ人が自分たちに合うように折衷しながら取り入れていったのが、キケロなどの折衷派のようである。細かい理論をギリシャ人が気にしたのに対して、ローマ人の視点は「役立つかどうか」のようだ。
ギリシャ哲学からキリスト教哲学への大まかな流れを勉強しようと思って読んでみた本だったけれど、僕が共感するに至ったのは、ギリシャ哲学とキリスト教哲学の際の部分だった。今も昔もどの時代でも、細かい部分こそが面白いのかもしれない。細かい部分だからこそ、我々の注意が向けられるのかもしれない。
哲学史においても、神は細部に宿るようだ。
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