犯罪をなくす方法は2000年前となんら変わらない

2020.03.13 (金)

犯罪や非行は怒りから生まれるが、怒りを乗り除く一番の方法がバカらしいと思うことであり、どうすればバカらしいと思えるかというと、一番の近道は他人を見ることである。

 

 

バカらしいと思うとは、冷めることである。近くに寄らず、遠くから客観的に見られるようになること。一歩上から自分を含めて全体を見ることを「メタの視点」とか「メタ認知」というが、その視点が犯罪を取り除く視点である。

 

 

前かがみになってのめり込んでいた自分に気づき、「あ、こんなに一生懸命になってる自分ってバカらしいな」とか「今まで気づか無かったけど、考えてみればバカらしいな」と思えることが、怒りを取り除くには効果的である。

 

 

今僕はこの文章をマックで書いているのだが、店内にはさっきまで大声で話をしている若者のグループがあった。4〜5人で、音楽活動か何かについて、熱心に話している。意見が衝突していてなかなか白熱していたようだったが、いかんせん声が大きい。店内にくまなく響き渡る声なので、僕を含めて眉をひそめる人が多かったはずだ。

 

 

が、その若者のグループを黙らせた人たちがいる。それは後から入ってきた、これも4〜5人の年配者のグループなのだが、この人たちが若者のグループにも負けず劣らず声が大きいのだ。もしかしたらアルコールが入っているのかもしれない。

 

 

この年配者のグループ、話していることはごちゃごちゃしていてわからないし、わかりたくもないのだが、誰かに対して不満を言っているのだろう。内容はわからないが、声のトーンからして不機嫌であるようである。「誰が面倒見なきゃならないんだ」とか「少し考えてくれよ」などと、大声で怒っているのだ。

 

 

面白いのが、さっきまで大声で音楽について議論をしていた若者のグループが、この年配者のグループが来てから黙ってしまったことである。「ライブハウスが‥‥」とか「オレの音楽が‥‥」などと身を乗り出して話していたのに、今はテーブルに突っ伏して寝に入ってしまっている。大声で話す年配者のグループの見苦しさを見て、大声で話をすることのバカらしさに気づいたのだろう。

 

 

「他人の振り見て我が振りなおせ」という言葉がある。これほど怒りを沈める方法を的確に表した言葉はない。

 

 

怒りは見苦しい。古代ローマの哲学者セネカは、著書「怒りについて」の第1巻1章で、怒りの見苦しさについて、細かく描写している。

 

「狂気に憑かれた者の確かな微表はこうだ。不敵で、脅迫的な目つき、険しい眉、よじれた顔、せわしない歩み、落ち着かない手、豹変した顔色、頻繁で激しい息。怒った者のしるしも同じである。目は燃えて輝き、胸底から湧き上がる血のため、顔全体に多量の紅みが差す。唇はわななき、歯は食いしばる。頭髪は硬く逆立つ。荒く激しい息遣い。関節が折り曲げられて発する音。うめき、唸り、不明瞭な声の途絶しがちな言葉、繁く打ちつけられる手、足で叩かれた地面。興奮に衝き動かされた、怒りの激しい脅しもあらわな全身。己を湾曲させ、膨ふくれ上がった姿の、見るも厭わしくおぞましい形相。」

 

 

(セネカの凄いところは言葉が巧みで、翻訳者の文才もあるだろうが、「怒りについて」の中で、怒っている人の描写を頻繁に表現を変えて書いていることだ。)

 

 

 

 

怒っている人というのは客観的に見るとたしかにセネカの言っているとおり見苦しいのだが、問題なのは、そんなも見苦しい姿で怒っていることに、自分自身がなかなか気づけないことである。

 

 

怒るというのは対象に対して前のめりになって視野が狭くなることなので、周囲が見えなくなるのだ。ただでさえ自分自身というのは見えにくいのに、視野が狭くなっては余計に見えにくくなるだろう。視野が狭くなって一番に見えにくくなるのが、自分自身である。自分自身がどんな振る舞いをしているか、自分自身がどんな顔をしているか、自分で気づくのは容易ではない。

 

 

どうすれば気付けるのか。どうすれば自分の見苦しい姿を客観的に認識することができるのか。

 

 

そこで出てくるのが、他人である。自分とは違って、他人というのはどんな小さなことでも気になるほど、認識しやすいものである。ちょっとした仕草を「迷惑だ」と思ったり、いくばくかの大声に腹を立てたりと、大したことをしていないのに自分から見れば気になって仕方がないほどである。

 

 

怒ってしまっては、他人を見る視野も狭まってしまうから、普段から他人を見ることが効果的なのだろう。落ち着いているときに他人を見て、「怒っている人はこんな風に見苦しくなってしまうのか」と認識していれば、自分では「許せない」という基準に達すること(セネカのいう「不正」)が起こっても、落ち着いていられるだろう。

 

 

セネカ「怒りについて」の第2巻28章にはこんな文がある。

 

 

「われわれは、みずからを振り返って自分自身に考察を向ければ、ずっと穏健になれるだろう。『はたしてわれわれ自身も、何かこうしたことを犯しはしなかったか。こんなふうに間違わなかったか。そんなことを罰して、われわれのためになるのか』」

 

 

他人を見て、「自分も見苦しいことをしていないか」と意識を自分自身に向けるのが、怒りを取り除くのが、効果的な方法なのだ。

 

 

自分自身の怒りの見苦しさには気づかないが、他人の怒っている様子は気になるものである。怒りを遠ざけるには、普段から他人を見て、いかに怒りが見苦しいかを認識することである。

 

 

アンガーマネジメントなる本が売れているようであるが、怒りをコントロールする簡単な方法は、顔を上げて他人を見ることだったのだ。いつの時代も変わらない。

 

 

「怒りがなくなれば、犯罪を取り除き、悪人を罰して正道に導くことも、より容易に、より正しくできるようになる」(セネカ「怒りについて」第2巻13章より)

 

 

 

 


 

 

 

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そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

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