非行のない社会づくりとは

2020.03.12 (木)

どうすれば非行のない社会づくりができるのか。

 

 

僕は寛容的になることだと考えています。社会全体が寛容的になることです。自分とは価値観の違う人間を攻撃せず、その人を認めること。自分とは違う考えが存在することを容認することです。

 

 

よく多様性とは言いますが、それと同じことです。多様な人間、多様な価値観、多様な考えがあることを受け入れることが、寛容的になることです。

 

 

‥‥なんていうと簡単なように聞こえますが、これが意外と難しいんです。というのも、意外と自分が不寛容になっていることに気づかないからです。他人が不寛容になっていることには気づくし、他人の不寛容は気になるのですが、その他人と同じことをしていることに、人は気づかないものです。

 

 

だから、自分が不寛容であることに気づくこと、人は不寛容であることからは逃げられないことを自覚することが、寛容的な社会を作ることだし、それが非行のない社会を作ります。

 

 

たとえば僕は警察官をしていた際、よく道路交通法違反を捕まえていました。車の取り締まりをしていたんです。そのときに違反者からよく聞く言葉が、「今のはしょうがない」でした。「自分がやった運転はわかっている。けれど、今の運転にはやらざるを得ない理由があるんだ」ということをよく違反者は思っているんです。

 

 

たとえば指定場所一時不停止っていう交通違反があります。指定場所一時停止の標識のある交差点では、標識のある場所にある一時停止線で一旦止まってから交差点に入らなければなりません。速い速度で交差点に侵入しては交通事故になる可能性が高いので、それを防ぐためです。

 

 

けれど、この一時停止は止まらない人が多く、大抵はブレーキをかけて減速しただけです。そこで警察官が、一時停止標識で止まらない車を取り締るのです。

 

 

「だってお巡りさん、今減速したじゃん。左右は見たんだし、安全は確認していたんだから、今のはしょうがないよ」

 

 

などと違反者は言います。この理由を聞いてどう思います? 走行しながらの安全確認なんて信用できると思いますか? 車は時速20キロメートルでも、2秒間に約10メートルも進みます。安全確認なんて、少なくとも右側と左側の両方も見なければならないので、走行しながらの安全確認なんて、右を見ている間に左側から走ってくる自転車を引いてしまいます。

 

 

安全確認は、停止した状態でないとしっかりできないんです。なのに、指定場所一時不停止違反の違反者は、止まらなかった理由について、このような言い訳ともとれる理由を並べます。この人たちも、車の違反については軽く考えているわけではありません。事故の多い社会を望んでいるわけではなく、事故が少なくて歩行者に優しくて生活する人に安心を与えるような社会を望んでいるはずです。

 

 

普段、ニュースを見れば犯人に対して憤るし、間違ったことをすれば不正を正そうとする人たちです。でも、いざ自分が交通違反などの犯罪を行うと、「自分がやったことは社会で騒がれている犯罪とは違う」という風に、自分の行為を客観視できなくなるんです。確かに交通違反は悪いことだが、自分がやったことは交通違反に当たらないと思ってしまうんです。

 

 

人は、他人の間違いには気づくけれど、自分の間違いにはなかなか気づかないものです。たとえ自分が間違ったことをしていることを認識したとしても、その間違いこそが間違いだと考えようとします。自分には盲目的になるんです。

 

 

同じように、いじめやパワハラもそうです。学校でのいじめも、職場でのパワハラもそうですが、当事者というのは、自分がいじめをしたりパワハラをしていることについて、わかっていません。あるいはわかっているのかもしれませんが、自分がやっているいじめやパワハラは、本当の意味でいじめやパワハラには当たらないと考えています。

 

 

いじめをしている人間に「なぜやめないのか」と聞けば、「相手が悪い」と言い、自分がやっているいじめには正当性がある、というようなことを言うでしょう。パワハラをやめない上司に「なぜパワハラをやめないのか」と聞けば、「これはパワハラではなく指導だ」というようなことを言うでしょう。

 

 

だれも自分がやっていることが、やめるべきいじめだとは思っていません。自分がやっている指導が、社会で問題になっているパワハラだということを認識していないのです。そのわりに、社会でいじめやパワハラがニュースになると、このような人たちでも「いじめやパワハラは良くない」というのです。

 

 

自分の行動と、社会で問題になっているニュースが同じだということに気づくこと。自分の言動を客観的に見ることができること。それが、不寛容を無くし、多様性を身につけ、自分以外の価値観や考えを認める寛容さに繋がります。

 

 

犯罪者は、自分の行動が問題であるという自覚がありません。不寛容である人は、自分が不寛容であることに気づきません。自分が不寛容であることを自覚すること。それが、非行のない社会を作ります。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。 感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 違反者や酔っぱらいなど、警察の世界にひしめく怒りっぽい人たちを観察してきた著者が、子ども相手についイライラするお父さんお母さんに向けて書きました。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]


 

 

30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んで頂ければと思います。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 非行のない社会づくりとは

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP