子育ては手を抜いた方が、親にも子どもにも良いだろう

2019.11.05 (火)

子育てとは何か。子育ては何が楽しいのか。だって子どもなんて、なかなか言うことを聞いてくれないし、ワガママばっかりだし、ぜんっぜんご飯を食べてくれないし、いつまでも起きていて寝てくれないし。悪いことばかりなのではないか。良いことなんか一つも無いのではないか。ただの害悪なのではないか。そんな風にも思う。

 

 

子どもに文句を言い、逆に文句を言われ。子どもに悪態をつき、逆に悪態をつかれ。そんな事を繰り返すのが子育てなのだが、そんな中で、本当に一時、「これは」と思うものがある。一瞬にして、それまで冷えて固まっていた関係、そんな永久凍土のような塊を、一瞬で溶かしてくれるときがある。コドモとの関係はけっこう大変なもので、どんなに「コドモが好きだ」と言っていても、「コドモが好きだ」というだけでは対処できない時があるのだ。そんな氷河期のような期間にも、一瞬で氷河期を終わらせて、春の匂いを感じさせてくれるような瞬間がある。「子育てやってきてよかったあ」とか「コドモのこの瞬間を見られてよかったあ」とか、永久にその姿を残しておきたいと思わせる瞬間に会うものだ。

 

 

先日、アンパンマンミュージアムに子どもを連れて行ったのだが、子どもが一生懸命にアンパンマンを応援する姿にであってしまった。この瞬間とは、先程書いた、氷河期を終わらせてくれた瞬間である。永久凍土を溶かしてくれた瞬間である。この姿をみて、「自分はこの時のために生まれてきた」とさえ言える。後ろにいる親ではなく、前にいるアンパンを必死に目で追っている。腕を上げ、手を揺らし、腰を回し、足でステップを踏み、全身でアンパンと一体になろうとしている。

 

 

おそらくこれは、子どもが一点の曇りもなく、目の前のアンパンマンを応援しているからなのだろう。周りを観てみたら良い。疑惑の目でアンパンマンを見ている目がこんなにも多い。「あの中には人が入っているから、あれは本当のアンパンマンではない」「中に入っているアンパンマンも疲れているのではないか」など、そんな風にアンパンマンに対してどこか犯人を見る、詐欺師を見る、騙している人を見るかのような目を向けているのだ。だから、周りの大人には、子どものような純粋さを感じないのだ。

 

 

それに対して、アンパンマンを応援する子どもの純粋なこと。真っ直ぐにアンパンマンを見ている。アンパンマンが手を振れば手を振り、応援を頼まれれば「がんばれー!」と叫び、主題歌の「あんぱーん、まーん」のところでは同じ様に歌い。この一生懸命さ、純粋さ、素直さ、曇りのなさ、無邪気さ。これこそが、子どもの魅力が沈殿した部分であり、美味しさが凝縮された部分なのだ。疑いを持たずに一点を見つめること。子どものそんな様子を見られるのが、子育ての醍醐味なのだ。

 

 

同じようなことは、運動会にも言える。運動会は両親にとって、子どもの成長した姿を見ることができる舞台の一つだ。昔から人気があるコンテンツだ。まあ確かに、古い。子どもの運動会を見に行っても、「いつまで昔と同じことやってるんだよ」とか「30年前と同じじゃん」と思ってしまう。けれどけれど、そんな運動会の昔ながらの体裁は気にする必要がないのだ。運動会というのは、あくまでも外側の部分である。中身は何かというと、子どもの一生懸命な姿なのだ。子どもの運動会というものに親が引かれるのは、子どもが一生懸命になるからであり、そんな姿を見られるからなのだ。

 

 

甲子園を見ていても、球児たちの一生懸命な姿に引かれる。彼らには後がない。負ければそこで野球が終わるのだ。一生懸命にならないはずがない。「絶対に打たれまい」とボールを投げ、「なんとか点を」とボールを打ち返し、「点を与えまい」と上がったボールをグラブで追いかける。周りを見ずに、ボールという一点のみを見る目があるから、我々は年甲斐もなく応援したくなるのだ。

 

 

だから、もしも子育てがつらいのなら、子育てが億劫なのなら、子育てがただただ重いのなら、子どもの一生懸命な姿を見る機会を作れるといい。たちまちつらさは吹き飛び、億劫な気持ちは晴れ、重さはウルトラライトダウンの如く軽くなるだろう。報われれる瞬間なのだ。

 

 

一生懸命な姿をみるヒントとしては、親が与えるのではなく、子どもに選ばせることだ。自分の事を考えてみればわかると思うが、他人に無理やりやらされたもので一生懸命になれるものはない。例えあると思っているとしても、それはどこかに「自分で選ぶ」という要素が入っているものだ。完全に他人から与えられた中で、一生懸命になれるものはないだろう。で、それというのは打算を無くすことでも有る。「行きあたりばったり」なのだ。一生懸命になれるかどうかなんて、感情である。ソコに「未来は大丈夫か」なんて考える隙はない。いちいち考えないでリスクをとるから、一生懸命になれるのだ。そういう意味では、ギャンブルと同じかもしれない。別にギャンブルを推奨するわけではないが、「賭ける」という事をしてみてもいいのではないか。後は子どもを信じるのみである。

 

 

人生は「一生懸命になれるものを見つけられるかどうか」とも言えるのではないか。自分の人生でも、子どもの人生でも、一生懸命になれるものを見つけられるかどうか、なのだ。子どもにも機械を与えよう。それは「一生懸命になれるもの」を見つけられる機会だ。そのためには、自分で選ばせなければならない。子どもの主体性を大事にすることである。決定権、選択権、ハンドルを子どもに投げてしまうことだ。

 

 

確かに子育ては大変だ。だが、ときに、アンパンマンを応援する後ろ姿を見せてくれる。一生懸命な姿を見せてくれるのだ。一生懸命になれるものを見つけよう。一生懸命になれるものを見つける機会を、子どもにも与えよう。それは自分が引っ込むことだろう。子どもに任せることだろう。子育ては楽でいいのかもしれない。自分が出なくていいのだから。

 


 

 

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