バラエティ番組のヤラセ感を感じる〜死神の浮力

2019.11.04 (月)

 

バラエティ番組を見ているときに「それってやらせじゃないの?」という違和感を抱かないだろうか。出演者のわざとらしい演技。現実感のない、芝居がかっている振る舞いを見ていて、せっかく見ていたのに冷めてしまうことはないだろうか。昔「ガチンコ」というテレビ番組があった。名前のとおり、「本気で◯◯に打ち込む」という企画。これの企画で「ファイトクラブ」というのがあって、これは何なのかというと、街の不良を本気でボクシングに打ち込ませる、という企画。で、街の不良たちなので、トレーナーとか先輩期に噛み付いたりして、その辺りが見どころではあったのだけれど、いかんせん、「ウソくさいなあ」という雰囲気が、見ていて残る番組でした。

 

 

そんな「それってやらせじゃないの?」という違和感を、この本の主人公である夫婦にはいだいてしまった。はじめに脚本ありきで、その脚本のとおりに夫婦を行動させる、みたいな。いや、小説なのだから、人が作ったノンフィクションなのだから、はじめにストーリーがあって、そのストーリーのとおりに登場人物を動かすのは当たり前なんですよ。著者の思ったとおりに登場人物を動かすのは当たり前なんですよ。だけど、その動きが自然じゃなかったんだよね。作者の「こんな風に持っていきたい」という構想が頭の中にあって、その構想のとおりにストーリーを動かしたいから、登場人物を行動させる、みたいな。

 

 

この本っていうのは、殺された小学生の娘の復習をしようとする夫婦の物語なんですよ。だから見どころとしては、小学生の娘を殺されて、「こんなにも心がおだやかではないんですよ」っていうのを期待したんです。ですけどそれが、ストーリーに合わせたものになってしまった、という感じです。犯人に復讐をするために、夫婦でスタンガンで相手の動きを止める連携の練習をしていた、とか。まあ、難しいんですけどね。「そんなこと、しないんじゃないの?」「ちょっと違うんじゃないの?」という印象です。

 

 

だから、バラエティ番組における、ヤラセ感を感じたんです。「こんな展開に持っていきたい」という作者の構想がはじめにあって、それに合わせるために、キャラクターをこう行動させるとか、こう思案させる、とか。つまりは、不自然だった、ということです。現実っていうのは、未来を読めない世の中なわけだと思うんですよ。我々は生きていて、先を読めない。今「現在」を我々は生きているんですけど、次々とやってくる未来に対して、先取りして行動はできないわけですよ。確かに「こんなことが起こるんだろうな」とか「こうなるから、こうしておいたほうがいい」とか、そんな風に、やがてやってくる未来を想像して、読もうとして我々は今現在において行動したり思案したりしているんですけど、それが完全に合わせられることは無いわけです。パズルのピースを合わせるが如く、「こう来るのがわかっていて、こう動いた」というのは無いわけです。

 

 

読むことはできる。読みが当たることもある。けれどそれは、どんなに読みが当たったとしても、あくまでも「読みが当たった」のであって、空いている棚に本を入れるとか、物をよけて前に進むとか、当たり前のことではないはずなんですよ。復習をしようとしていた夫婦には、そんな行きあたりばったり感がなかったです。わざと、復習する相手の罠にハマってみたり、相手の思うつぼのような動きをしたり、そんな、「わざとストーリーを面白く見せるために、ひっかかってみました」のような動きをうする夫婦のように感じられました。それを見て感情移入しろっていうのなら、無理な話なのではないか、と。ヤラセ感満載のテレビ番組を見ていて、「涙しろ」とか「感情移入しろ」たってそうはいかないですよね。どこかしらでシラケ感がやってくるんです。本当はテレビでも小説でも、没入しているのが視聴者や読者としては理想なんですけど、冷めてしまう。没入できなくなってしまう。現実の世界に連れ戻されてしまう。「あ、これは作られた物語なのか」と、客観に連れ戻されてしまう。「そんな感じを受けてしまう作品だなあ」と思って読んでしまいました。

 

 

とはいえ、とはいえ。面白かったです。ヤラセ感に着目して書いてはしまったんですけど、読みやすさもありました。夫婦につきそう死神の行動にはヤラセ感は感じず、実際に死神というものは(たぶん)存在しないのに、違和感なく世界に入っていました。それと、相変わらずこの作者はたとえ話がうまい。「記憶が張り付いている」とか「皮膚を裏返されたように」とか、「よく次々と、そんな大手をだしてくることができるな」と関心しました。強力な波状攻撃のような、そんなたとえ話の連続でした。何回も波動拳を打ってくるリュウとか。そんな風に、徐々に、だけど確実に、。ゲージの体力を減らされました。読むことに対する抵抗を減らされて、本に引っ張られるようでした。

 


 

 

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