本当の反権威とは誰か。歴史に名前を残すことの意味
一昨日は、久しぶりに望遠鏡を出して月を覗いてみた。
スーパームーンとのことで、普段よりも数パーセント、月が大きく見える日だったらしい。冬の間は一度も望遠鏡を出さなかったので、月を覗いたのは最低でも半年ぶりほどだった。
ZOZOファウンダーの前澤社長が月に行く計画を発表して依頼、僕も月を眺めるようになったけれど、望遠鏡で月を覗くと、月が大地だということに改めて気づく。地上から目で月を見ていても、それが本当に巨大な塊だという事実がわからない。黄色の紙切れがそこにあるとか、空に穴が空いているとか。そんな風にしか見えない。望遠鏡を覗いてはじめて、月にも地球と同じように大地があって、宇宙の大きさに創造が追いつく。
「宇宙創成」という本は、宇宙観を作ってきた科学者たちのノンフィクション作品である。古代の神話的宇宙観から始まって、どのようにしてビッグバン理論までたどり着くのか。科学者たちの歴史の物語である。
この本の中に、天文学者のエドウィン・ハッブルという人物が出てくる。「ハッブル」という言葉を聞いて、「ハッブル宇宙望遠鏡」を思い浮かべる人も多いと思う。僕もそうだった。ハッブル宇宙望遠鏡の「ハッブル」とは、歴史に名前を残した偉大な天文学者の名前だったのだ。
ウィキペディアによると、ハッブル宇宙望遠鏡とは、地上役600キロメートル上空の軌道上を周回する望遠鏡である。長さ約13.1メートル、重さ約11トンの筒型で、主鏡2.4メートルのいわば宇宙の天文台。バスくらいの大きさらしい。大気や天候による影響を受けないため、地上からでは困難な高い精度での天体観測が可能、とある。
そういえば今年の1月に、「ボイジャー2号が太陽圏外に出た」というニュースを見た。
ボイジャー2号とは太陽系の外惑星系を探査するために打ち上げられた無人宇宙探査機である。1977年にNASAによって打ち上げられた。太陽圏とは、太陽風が届く範囲のことらしく、その外側は「太陽風に守られていない領域」のことらしい。
何かの記事で読んだが、太陽圏とは、銀河を旅する一つの船団のようなものなのだそうだ。太陽に守られながら、8個の惑星とそれらの衛星などが暗闇の銀河を突き進む。超時空要塞マクロスの船団が思い出される。
「宇宙創成」を読んで知ったのは、「ハッブルの他にも多数の偉大な科学者たちがいた」という当たり前のことだ。本を読んでいてハッブルの名前が出てきたときは、「あ、ここでハッブルが出てくるのか。なるほどな」と思った。「『ハッブル宇宙望遠鏡』もあるし、その名前になるくらいの仕事をした科学者だったのだろう」と思った。
けれど、宇宙創成に出てくる科学者は、もちろんハッブルだけではない。「ハッブル」という名前は、宇宙望遠鏡もあってニュースでよく聞くので、僕も以前から知っていたのだ。けれど、古代の神話的宇宙観から現代のビッグバン理論の宇宙観をつくるまで、無名(と言ったら失礼か)の科学者たちがたくさん登場する。
どれも「一人でも欠けていたら、今日の宇宙観は成り立たないだろう」という希少な発見をしたり、理論を説いた科学者たちである。
光の速度が有限であることを証明したのはレーマーだし、太陽が天の川銀河の一部であることを発見したのはハーシェルだし、「宇宙は動的かもしれない」という案を出したのはフリードマンとルメートルである。
たくさんの科学者たちの働きによって、今の宇宙観が成り立っている。にもかかわらず、僕がこの本を読んで知っていたのは、近代以降で言えばハッブルとアインシュタインくらいだ。
「その2人が有名なのは、他の科学者よりも余計にいい仕事をしたからじゃないの?」と思われるかもしれないが、この本を読む限りどうもそうではない。アインシュタインなどは、初めはビッグバン理論の対立候補である永遠の宇宙観を支持していたため、ルメートルを批判していたほどである。
後に自分が間違っていた事に気づいてアインシュタインは、「権威を馬鹿にした報いで、運命は私を権威にした」と言ってる。かつては反権威の象徴だったアインシュタインも、権威を批判して実績を残すことで、いつの間にか権威になっていたのである。そのアインシュタインが歴史に名前を残したのは周知のとおりである。
つまり何を言いたいのかと言うと、歴史に名前を残すとは、権威でなければできないことなのだ。偉大な仕事をした人たちはたくさんいれども、その中には名前を残した人と、残せなかった人がいる。今でも聞く名前の科学者もいれば、全然聞いたことがない名前の科学者もいる。
この違いは何なのかというと、権威という大きな大きな後ろ盾を持っていたかどうか、なのだ。
アインシュタインなんて、「何の疑いもなく権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である」という言葉を残しているが、何のことはない、アインシュタインも結局は権威として人生をまっとうしたのである。
僕たちは反権威と呼ばれる歴史上の人物の物語に心をそそられる。大きな敵に挑むレジスタンス。ロックな精神。幕末の坂本龍馬もそうだ。この世を今一度洗濯したくて、幕府という大きな風呂敷の時代を終わらせようとしたのだ。
けれど、「歴史の名前を残している」ということは、本当の意味では反権威では無かったのだ。歴史に名前を残すことは、権威でなくてはならない。名前を残すことは「殿堂入り」を意味するのであって、殿堂とはその時代の権威であるからだ。
その時代に、その分野を統べる者(組織)に認められたから、名前を残すことができる。権威の側で無かったら、実質的に名前を残せない。
本当の反権威者とは、歴史に名前すら残さなかった者のことをいうのだ。
そう考えると、歴史は本当に難しい。学ぼうとして本を読めば、載っている名前は全て権威の側の人物だからだ。スポットライトを当てるべきなのは、歴史に名前すら残せなかった人たちなのに。
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