やらないと覚えないんだから、やらせた方がいいよ。新人の部下に仕事を任せるべきか
仕事を進めるうえで、ずっと気になっていることがある。すなわち、「部下に仕事を任せるかどうか」である。
よく聞く言葉はこれだ。「やらせないと覚えないんだから、やらせた方がいいよ」である。これは、部下の育成を任された先輩なんかがよく言うセリフである。今、目の前にある仕事をどうやって片付けるべきか。自分がやるべきか、それとも新人の部下に任せるべきか。
先輩は大抵、こう考える。
「自分がこの仕事をやってしまえば、新人がやるよりかは早くに終わらせられるだろう。自分は何回か同じような仕事をやったことがある。決して楽ではないが、それでも新人ほど時間はかからない。けど本当にそれで良いのだろうか。部下に任せた方がいいのではないだろうか。
仕事はやらなければ覚えない。であれば、ここは自分が仕事を引き受けるのではなく、自分は身を引いて部下に任せた方が良いのではないだろうか。新人だって、早く仕事を覚えたいと思っているに違いない。であれば、この仕事からは自分は身を引くべきだろう」
この先輩の考えは間違いではない。極めてごく自然の考えである。
けれど、あえて僕はこの考えに反対したい。
部下の指導を任された多くの先輩が、部下に仕事をふるかどうかで悩んでいる。どこまで任せれば部下がうまく成長するのか、その線引きを見極めようとしている。仕事を任せなければ部下の成長が遅れてしまう。だからといって、やってきた仕事をすべて新人に任せればたちまちパンクしてしまうだろう。その線引きはどこにあるべきか。
僕から言わせれば、「そんなものはどうでもいい」である。「仕事をやらせなきゃ覚えないよ」とか、そんなものは極めてどっちでもいい。というのも、新人の部下が使い物になるか、ならないか。その分かれ道は、先輩にあるのではない。
確かに先輩には、部下に仕事を任せるかどうかの権限があるのかもしれない。あなた自身、上司から「うまく新人を成長させてやってくれ」と言われているのかもしれない。だから先輩は「オレが新人を成長させてやろう」と思っているのかもしれない。
けど安心してほしい。部下が使い物になるかどうか、先輩にそこまでの影響力はない。先輩が新人に仕事を任せるかどうかで、部下が使いもになるかどうかが決まるわけではない。先輩が新人に仕事を任せるから新人が成長するわけではない、先輩が新人に仕事を任せないから新人が成長しないわけではない。
世界中のどの「先輩と後輩」の間柄にも言えることだが、人間は他の人間に対して、それほど影響力はない。そこまでの影響力を持っているわけではない。新人が仕事をこなせる様になるかどうかの分かれ道は、部下育成を任された先輩にかかっているのではない。部下自身にあるのだ。
というのも、「仕事を覚えよう」とか「早く一人前になりたい」と思っている者は、たとえ新人だとしても、すぐに仕事を覚えてスポンジのごとく吸収してしまうものだ。
たとえ仕事を任せなかったとしても、「こういう場合はどう動けば良いのか」「この場合はどういう判断が求められるのか」など、やる気のある新人は、先輩の言動や周囲の状況を、おのずと観察するものである。
だから悩む必要はないのだ。「どこまで仕事を新人に任せれば良いのか」なんてことで時間をつぶす必要などないのだ。ただ自分の思った通りにやればいい。自分が仕事をしたかったら、目の前にある仕事を自分が片付ければいいし。自分が仕事をしたくなかったら、目の前にある仕事を部下に振ってしまえばいいし。
僕にはむしろ、目の前にある面倒な仕事を、「やらなきゃ覚えない」なんてテキトーな理由をつけて部下に回そうとしている、その考え方のほうが気持ち悪いと思う。
簡単な仕事なんてない。相手が人間である以上、「一見簡単そうに見えても、実質そうではない」仕事なんてのはたくさんある。そういう意味では、不安のない仕事なんてのはないだろう。仕事を片付けようと思えば、何かしらの不確定要素がある。仕事とは、その不安に耐えることなのだ。
目の前に仕事が迫ってきているのに、「『やらなきゃ覚えない』んだから新人に任せるべきか。それとも自分が片付けるべきか」なんて、考えなくていい。
自分がその仕事をしたかったらすればいいし、したくなかったら部下に回せばいい。それだけのことだ。自分は仕事を持ちたくないのに、わざと「部下のためだから」なんて言って部下に仕事を任せるのなら、そのテキトーな理由付けこそが、たちが悪い。
むしろ「主体性」という観点から見れば、部下が「やりたい!」と思う仕事でなければやる必要なの無いのだ。部下が自然と足を向けるような仕事でなければ、わざわざ仕事を任せなくてもいい。
僕たち人間は、どう頑張ったって、他人に影響を与えられない。それは先輩と後輩のみならず、親と子ども、社長と被雇用者などにも言えること。いくら「こうなってほしい」と思っても、基本的にはその人次第なのだ。
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