常磐道のあおり運転から、我々は何を学べるのか
常磐道のあおり運転の映像がひどすぎる。ハンドルを左右に切りながらの蛇行運転で、ターゲットの進路を塞ぐ。降りていって、右の手拳で殴打。これだけの事を出来るのは、よほど自己中なのだろう。この犯人は、自分と相手とを重ね合わせて考えることができないのだ。「殴られたらどれだけ嫌か」「あおり運転がどれだけ迷惑か」など、相手の身になって考えられないのだ。
この犯人は、よほど具体に囚われているのだろう。乗っているのは高級車だし。着ている服も威圧するような服装だし。世間でステータスだと思われている事を、考えもせずそのまま自分に取り入れているのではないか。具体というのは引力が強力すぎるので、自分で考えようとしないと、すぐにそれがそのまま自分の意見だと勘違いしてしまう。世間でBMWがいいと言われれば、そのまま「BMWがいい」というのが自分の意見だと勘違いしてしまうのだ。
普段から、具体に囚われない工夫が必要である。引力が強い具体的なものに会った時に、それに囚われないように、「それって本当に自分の意見?」「その言われている事って本当にそうなの?」と疑ってかかることが必要だ。
さて、この犯人が具体に囚われている人間だという事はわかった。ただ、それに対して「全くしょうがねえなあ」とか「時々いるんだよな、そんな奴が」などと、人ごとのように思っていないだろうか。自分とは関係のない世界の話、自分とは違う種類の人間の話、のように思ってはいないだろうか。まさにそこに落とし穴があるのだ。このような具体に囚われている人を見て、他人事だと思うこと自体が、具体に囚われている証拠なのだ。
自分ごととして見えていない。この具体に囚われている犯人を見て、「自分もそうなるかもしれない」と自分と重ね合わせて考えることができて初めて、「具体に囚われていない」と言える。
相手を「分からない」と思ってはダメだし、相手を「自分とは違う人間」などと思ってもダメだし、「自分はそうではない」と考えてはダメだ。「そんな状況には、自分はならないだろう」と自分を世間から断絶して考えてしまっている。自分を特別だと考えてしまっている。それこそが自己中なのだ。ゆえに、「自分はあおり運転はしない」と考えている人に限って、実際はあおり運転をしているものなのだ。「自分もあおり運転をするかもしれない」と臆病になっていれば、実際にあおり運転をする可能性は低くなるだろう。
相手と自分を重ね合わせて考えること、自分ごととして考えられること、相手の視点を想像できること、それが優しさであり、思いやりであり、イライラしない思考なのだ。イライラしないということは、脱犯罪にもつながる。
自分と相手とを繋げて考えられるかどうか、それが必要なのだ。「自分はそうはならない」と自分を特別視するのではなく、「自分もいつ、ああなってもおかしくない」と考えられる、思考の広がりが必要なのだ。
どうすれば自分と相手とを重ねて考えられるようになるのか。それは仲良くなればいい。仲がいい相手には、イライラすることも少ないだろうし、仲がいいからこそ、自分と相手との状況を重ねて考えらるものだ。
そして仲良くなるにはどうすればいいか。それは、共通点を見つけることだ。共通点を見つけることで、相手と仲良くなり、相手と自分との重ねて見られるようになる。共通点とは、磁石のようなものだ。強力に磁力を発する。相手と自分とを引きつけて、重ねて見られるようにしてしまう。便利な磁石のようなものなのだ。
共通点は、抽象化で見つけやすくなる。自分という存在を確固としたものではなく、ぼんやりとした煙のような存在だと考えること。ブルース・リーの「水になれ」ではないが、形のない水のような存在だと考えてもいい。水は壁がなければ、どこまでも薄く広がっていく。そんな風に、広がりを持って考えられることが必要だ。自分の枠が広がれば、相手との接点もできやすくなるだろう。
人種差別があったとしても、「ルーツは同じ」だとわかれば「あいつと俺は同じ」だとわかり、差別をしなくなるだろう。話したことがなくてなんとなく気まずい相手でも、話して出身場所が同じであることがわかれば、途端に話に花が咲くだろう。
そんなものなのだ。具体に囚われないようにするには、相手目線で考えられるようにならなければならないし、そのためには相手と自分を重ねて考えなくてならない。そのためには仲良くならなければならない。そのためには共通点を見つけなればならない。そのためには抽象化して自分を眺めなければならない。具体に囚われず、物事を抽象的に見よう、自分自身をも抽象的に見よう。そうすれば、客観的に自分を見つめやすくなるだろう。「自分も具体に囚われている」ことに気付きやすくなるだろう。気づくには、自分から扉を開けるしかないのだ。いくら外側から他人が開けようとしたって、扉はビクともしないだろう。人の手によるものではないのだ。
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