「本質」なんて言う奴が一番見えていない。本質の罠に気をつけよ
僕は、「本質」という言葉を会話の中でときどき使っている。
会話の中で、相手に対して「この人、見えていないなあ」とか「今大事なのは、そこじゃあないんだよなあ」なんて思った時に、「あなたが指摘しているそれは、この問題の表面であって、本質はそこじゃないですよ」というような事を相手に言うのだ。SNSで投稿する際もこの言葉を使っていて、同じように「そこじゃないんだよな」という発言をした人に対してコメントしている。
けれど、僕はこの「本質」という言葉を使っていて、なんとなくモヤモヤしたものを感じていた。自分が「本質」という言葉を使うことに対する違和感である。なんとなく使っていてよそよそしく、使う度にどこか場違いなような感じがしていたのだ。「『本質』なんて言いながら「表面」を指摘しているだけなのではないか」「『本質』なんて言いながら、実は見えていないのは自分の方なのではないか」というような違和感である。
僕は今までこの違和感は、「本質」という言葉に「格好つけたような響きがあるからだ」となんとなく思っていた。本質っていうと、わかっていない人に対してわかっている人が言う言葉(少なくとも表面上は)なので、相手をバカにした感じがある。メガネを片手でクイッと上げたようなスカした感じが、そう感じさせるのではないかと思っていた。
細谷功さんの著書「具体抽象トレーニング」には、こんなことが書かれている。
「抽象化の特色として、自分に都合の良い性質だけを取り出して解釈してしまうことが挙げられます」だそうだ。
つまり、いくら「本質」という言葉を使おうが、「本質は‥‥」なんて言う人が本質を見えているかどうかはわからないのだ。結局は、「本質は‥‥」なんて言いながら、自分の都合のいい部分を本質だと言っているだけかもしれないのだ。
このことを、本書の中では「本質の罠」なんて言い方をしている。実に的を射たネーミングである。
「本質」という言葉を会話の中で使う人は、肝に銘じていた方が良い。というか、「本質」という言葉を使う以上は知っておかなければならないことでだろう。
「本質」という言葉には、いかにも「その言葉を発した人間には見えている感」がある。同時に、それだけ相手を否定するのに都合の良い言葉でもある。
「物事の本質は‥‥」
「あなたには本質が見えていませんね」
「本質はそこでは無いんですよ」
「本質」とは、「『本質』という言葉を使った人は本質を見えていて、相手方は本質を見えていない」様な構図を即座に作る、強力な言葉である。
けれど覚えておかなければならないのは、「本質」という言葉を使ったからといって、その人が本当に本質を見えているのか、本質を分かっているのか、本質を捉えているのかと言ったら、話はそう単純ではない、ということだ。
「本質」という言葉を使っていながら、物事の表面しか見えていないことはよくあることなのだ。「本質」という言葉を使うと、使う側は妄信的に本質をわかった気になるので、「気づいていない」状態になりやすい。本質という言葉を使ってしまうと、使った人を「本質を分かった気にさせる」のだ。
「本質」という言葉が会話の中であったときは、大抵の場合、本質に関係なく、相手の意見が絶対的な真理に反しているということを匂わせたいだけなのかもしれない。「自分の意見こそが本質を捉えている」という勝手な思い込みをしているのが、「本質」という言葉を多様する人の特徴なのだろう。
「本質」という言葉を使う人がいたら要注意だ。その人は本質をちっともわかっちゃいない。「本質は‥‥」なんて言う人は、自分が一番わかっちゃいないことを暗に表明してしまっている。
だから、もしも会話の中で「この人は何にもわかっちゃいないなあ、本質が見えていないんだろうな」なんて思っても、「あなたは本質が見えていませんね」なんて言ってはいけない。もしも言ったとしたら、自分に対して「本質をわかっていない」と言っているようなものなのだ。
相手をバカだと思っても、実際に相手に対して「バカ」だと言ってはいけない。バカだという人間が一番バカなのだ。
怒っている人に対して「怒るなよ」と怒ってもいけない。
そう考えると、相手に対して「あなたは本質をわかっていませんね」というのは、強烈な自己矛盾を含んでいることになる。言った瞬間、その人自身が本質をわかっていないことになる。なぜなら、人が思う「本質」なんてのは、結局はその人の都合のいいように抽出した中での本質でしか無いからだ。
本質なんて言いながら、隔たりのある色眼鏡で相手や物事を見ていることに変わりはない。そのことに気づいていれば、相手に対して「あなたは本質が見えていませんね」とか「本質はそこではなく‥‥」なんてことは言えないだろう。
それなのに「本質は‥‥」なんて言うということは、結局は「隔たりから抜け出せない」という本質に気づいていない事を暴露しているようなものなのだ。
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