「じゃあ自分はどうなのか」ができないから。犯罪がなぜ無くならないのかを説明する。

2020.03.26 (木)

「多様性を認めなければならない」

「相手に対して寛容的にならなければならない」

「相手の身になって考えなければならない」

 

 

これは「どうしたら世の中から犯罪をなくすことができるか」への答えである。これが実践できれば、ドロボーはなくなるし、オレオレ詐欺はなくなるし、児童虐待だってケンカだってなくなる。

 

 

相手の身になって考えられるようになれれば、決して相手の嫌がることをしようとは思わないだろう。相手に対して寛容的になれば、たとえ相手が自分の価値観とはズレていることをしたとしても、その言動に対して攻撃(口撃)することもなくなるだろう。

 

 

世の中から犯罪や非行を無くして社会を平和にするには、「多様性を認めなければならない」し、「相手に対して寛容的にならなければならない」し、「相手の身になって考えなければならない」のだ。

 

 

おそらくこれらのことは、多くの人がわかっていることである。そんなに難しいことではない。誰だって自分が傷つけられた経験はあるだろうし、不当な扱いを受けたことはある。上司や父親から怒られて嫌な思いをしたことがあるし、車を運転していて他車からあおり運転をされたこともあるかもしれないし、もしかしたらいじめられた経験があるかもしれない。

 

 

そんなときには誰だって考えるのだ。「どうやったら、自分みたいに嫌な思いをする人を減らすことができるのだろうか」と。そして当たり前のように、こんな答えに行き着くのだ。

「多様性を認めなければならない」

「相手に対して寛容的にならなければならない」

「相手の身になって考えなければならない」

と。

 

 

けれど、いくら多くの人が「多様性を認めなければならない」とか「相手に対して寛容的にならなければならない」とか「相手の身になって考えなければならない」なんて思ったところで、実際に世の中は良くなっているのだろうか。実際に社会は平和に向かって進んでいるのだろうか。

 

 

いいや良くなってはいない。平和に対しては進歩していないのが現状なのだ。歴史が築かれれば、それだけ社会が平和になるのかと言うと、そうではない。世界大戦が起きたのは世界史的には現代だし、テロで多くの人が死んだのだって現代なのだ。

 

 

いじめは相変わらず発生しているし、いくら「パワハラはよくない」「体罰はやめるべき」なんて言ったところで、パワハラ被害者や体罰被害者は無くならない。今も肉体的にも精神的にも暴力をくって嫌な思いを続けている人はいるのだ。

 

 

どうしてこんなことが繰り返されるのか。どうして多くの人が「こうなれば社会は平和になる」「こうすれば世界から犯罪がなくなる」ということがわかっているのに、犯罪などの不当な暴力が繰り返されるのだろうか。

 

 

僕はそれが、「自分に気づいていないから」だと思っている。「暴力は良くない」と言いながら、暴力を振るっている。「人に対して嫌な事をしてはいけない」と言いながら、人に対して嫌なことをする。「多様性を認めよう」と言いながら、自分に合わない人間を排除している。そんな自分に気づいていないからなのだ。

 

 

これはどうしてなのか。それは、自分が見えていないからだろう。自分も所詮は同じ穴のムジナであることに気づいていないのだ。自分がよく見えていないのだ。

 

 

「犯罪は良くない」と多くの人がわかっているのに、多くの人が犯罪をしているのは、自分のしていることが犯罪だと気づいていないからなのだ。

 

 

テレビを付ければニュースは流れているし、スマホを持てばニュースアプリが起動する。絶えず世の中の出来事は個人にまで行き着いている。多くの人があおり運転のニュースを見て「あおり運転なんてやる奴はカスだ」なんて言っている。

 

 

職場なんかで同僚と小話をするときも、たとえば昨晩ニュースで流れた児童虐待の話題なんかを持ち出して「信じられないよね」なんて言い合う。

 

 

けれど、人がやったことについては目ざとく見つけて「良くない」なんてことを言うのに、いざ自分のこととなると多くの人が、自分も同じようなことをしていることに気づいていない。

 

 

職場で「あおり運転は良くない」「あおり運転をする奴なんてカスだ」のようなことを言った人が、仕事の帰りに急いで帰ろうとして、前を走る車との車間距離を詰めて走行する。これはあおり運転である。

 

 

職場で「児童虐待をする親なんて信じられない」という類の話をした人が、家に帰って、部屋を散らかしていたり、宿題をサボっている子どもに対して怒鳴り散らす。これは児童虐待である。

 

 

なるほど、これではいくら世の中から犯罪が無くならない理由に気づいたとしても、世の中から犯罪が無くならないわけだ。

 

 

せっかく多くの人が、世の中から犯罪を無くす方法に気づいているのだ。今度はそれを自分にも当てはめなければならない。自分がいざ、あおり運転をしそうになったり、子どもに対して怒鳴ったりしそうになったときに、気づいた思想を自分に適用しなければならない。

 

 

自分を見つめるべきなのだ。社会から犯罪を無くすには、絶えず外部から情報を取り入れるのではなく、自分が本当はどういう言動をしているのか、客観的に見つめる目を養わなければならないのだ。

 

 

外向きのベクトルを内向きにすることで、犯罪を社会から無くすことができる。自分を客観的に見る、一歩上の視点を持つことで、自分の自己中具合を見ることができる。自分の言動を振り返ることで、怒り狂って醜い姿をさらしている自分に気づくことができるのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

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