「本質」を言う人ほど見えていない〜具体抽象トレーニング
「本質とは●●である」
「それは表層であって本質ではない」
こんな言葉をドヤ顔で言う人が、あなたの近くにはいないだろうか。いかにも「自分はわかっている」的な顔で相手のコメントやセリフを否定する人。
はじめに言っておくが、僕もそうだった。「自分だけがわかっている」と思われる状況になった時に、「ああ、この人はわかっていないな」なんて考えていたし、そんな時に、僕の顔や言葉には「君はわかっていないなあ」というニュアンスが含まれていたんだと思う。
ドヤ顔で「本質とは●●である」と言ったり、相手に対して「それは表面的なことでしか無い。本質をわかってないねえ」なんて言うことは、人に対して「お前はバカだ」というのと同じである。強烈な自己矛盾なのだ。
「バカという奴が一番バカだ」というセリフを小学校の時に、誰でも一回は聞いたり、あるいは言ったりしたことがあると思う。このセリフは、他人に対して「お前はバカだ」と連発する本人に対して「あなたが一番わかっていないんですよ」と指摘するセリフである。
というのも、「バカ」という言葉も意味が一つではない。バカという意味にも色々ある。人の数だけバカが存在するし、人と人を比較できる領域の数だけバカが存在する。結局は、自分が得意な分野で相手と比較して、相手が自分よりも理解していなかったり劣っている場合に、「お前はバカだ」という言葉が成立するのだ。
例えば、数学が得意で成績が良い人にとっては、数学が不得意で成績が悪い人がバカに感じる。IT関係が得意でIT系の知識の飲み込みが早い人にとっては、IT関係が得意でIT系の知識をなかなか理解してくれない人がバカに感じる。
安易に人に対して「お前はバカだ」「お前はバカだ」と連発している人は、自分の視野の狭さを露呈していることになる。
「本質」という言葉も、これと一緒である。
人が「本質」なんて言葉を持ち出す時は大抵、誰かの意見に対して否定的な立場をとって、「あの人は重要なことがわかっていない」「本当に重要なことは他にある」という客観的な(に思える)意見を言っているときであるが、「本質」とは自分にとって都合のいい性質だけを取り出して解釈していることだというのを忘れてはいけない。
先程の「バカ」と同じで、人の数だけ本質があるし、人の価値観、人の解釈の数だけ本質がある。そう考えると、むやみに人に対して「本質とは●●である」とか「それは表層であって本質ではないよ」なんて事を言えなくなるだろう。
細谷功さんの「具体抽象トレーニング」では、このことを「本質の罠」と呼んでいる。「本質は‥」「本質とは‥」と連発する人ほど、本質が見えていないという罠にハマっているのだ。
これは、年長者の認知バイアスに似ている。人はそれまでの自分の経験などからくる個別の理由によって、物事を客観的に見ることができずに偏りをもって見てしまうことである。
自分の職場にもいないだろうか。若手に対して、「自分がこの仕事で今までやってこれたのは、ひとえに努力してきたからだ」と得意げに話す人のことである。実際には幸運や他人のヘルプなど、それまでやってこれたのには様々な要因があったにも関わらず、自分を正当化するために、自分に都合のいい「努力」という要因のみを抽出してしまうことである。
テレビにコメンテーターとして出演している専門家も同じで、彼らもその道のプロとして出演はしているのだろうし、プロの視点からのコメントを言っているのだが、結局は認知バイアスから逃れることはできない。専門家の意見を他の専門家が否定するのはよくあることだし、国会という日本最高峰の頭脳が集まっていると思われる場所でも、専門家どうしのけなし合いが行われている。
「本質」という言葉を使うと、いかにも自分がわかっているかのような印象を与えられると自分では思ってしまうが、その実、周りから見ればいい中傷の的なのである。裸の王様のように、見えていないのは当の本人だけなのだ。
そうは言っても、「だったら何も言えなくなるじゃないか」と思われるかもしれないが、そのとおりだ。「自分は認知バイアスにかかっているかも」と考えると、客観的な意見なんて何も言えないことになる。全ては主観でしかない。
「だったら何も言わなくていいのか」というと、そうもいかない。専門家としての意見を言わなければならないときなんて、仕事をしているとごまんとある。そんなときは、「自分は認知バイアスにかかっている」という原則のもとに、妄信的になるしかない。
その上で、人の意見には口を挟まないことだ。「相手が間違っている」とか「この人は本質が見えていないなあ」と思ったところで、相手の頭の中や立場を100パーセント理解する事ができない以上、それを伝えて相手をコントロールしようとすることに意味はない。思うことは制御できないまでも、言ってしまっては自分も「わかっていない」「見えていない」ことを表明することになる。
僕もこれからはむやみに「本質」なんて言葉を使わないようにする。
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