コペルニクスとプトレマイオスだけじゃない。地動説が常識になるまで(その2〜コペルニクス、ティコ、ケプラー、ガリレオ)
(続きから)
地動説
時は進んで16世紀。ようやく本気で天動説に闘いを挑む者が現れる。コペルニクスである。コペルニクスはアマチュアの天文学者だった。1514年頃に、手書きの「コメンタリオルス(小論)」という20ページほどの論文で、発表している。
コメンタリオルスの骨子こそがよく言われる地動説で、惑星の逆行運動も、観測者のいる地球が回っていることで説明できる、としている。コメンタリオルスはほとんど誰にも読まれなかった論文だったようであるが、彼はそれにもめげず、さらに30年ほども要してコメンタリオルスに数学的な肉付けを施し、200ページほどの原稿を書いた。
ちなみに時代は、コペルニクスには向かい風だった。カトリック教会が強く聖書の教えを推進していたからだ。その時代に「無限宇宙の諸世界について」という本を著したイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノは宗教裁判の後に火炙りで処刑された。
著書の中でブルーノは、「宇宙は無限で、星星はそれぞれ惑星を持ち、各惑星には生命が存在する」などと著していたようだ。死刑判決をくだされたブルーノは、「私に判決を下したあなた方の方が、判決を受けた私よりも大きな恐怖を感じているのだろう」と言ったとされている。
ブルーノが処刑されて、コペルニクスも自分が地動説を主張しようとしていることに悩みもあったと思うが、レティクスという若い助手の手伝いもあり、著書「天球の回転について」の出版にこぎつけた。レティクスはコペルニクスから原稿を預かり、印刷所に向けた出発した。
その時、コペルニクスは脳出血で倒れていて、「もう少しで命も危ない」という状態だった。「コペルニクスの死が先か、出版が先か」という競争だったけれど、どうにかギリギリ出版の方が先立った。コペルニクスは、死の床で自分の印刷された出版物をひと目見て死んでしまったらしい。
ちなみにレティクスは、原稿をもって出版社に向かったのであるが、それっきり音沙汰なくなってしまう。どうやらレティクスは、コペルニクスが原稿に協力者としてレティクスの名前を入れなかったことに腹を立てたらしい。
さらに、世に出回ったはずの印刷された出版物には、著者であるコペルニクスが予想しなかったことが起きていた。序文に誰かが加筆を施していたのだ。それは、「この本の内容は数字的な合理性を求めたものであって、真である必要のないことだよ」というような内容で、本文の内容を根底から否定するものだったらしい。
いったいなぜ、このような加筆が加えられたのか。加筆を加えたのは誰なのか。加筆の疑惑は、出版の責任を引き受けた聖職者のオジアンダーという人物に立てられている。彼は弱腰で、カトリック教会に気を使い、コペルニクスがカトリック教会の矛先にならないように加筆を施したのではないかというのだ。
でも、コペルニクスの「天球の回転について」出版をもってしても、直ちに世の中が変わるようなことはなかった。それにはいくつか理由があって、序文に余計な文章がついてしまったこともあるだろうし、本が恐ろしく読みにくい難解な文章だったことあるようだし、コペルニクスが無名だったこともあるし、コペルニクスが死んでレティクスも身を引いて推してくれる人がいなかったからでもあるし、惑星の観測データと少し合わないという精度の問題もあったし。なにより思想が過激だったからだ。急に「動いているのは地面だよ」と言われても、すぐに「そうだったのか。動いているのは地面の方で、太陽が動いて見えるのは見かけ上のことだったのか」と人々は納得できるものでものなかったのだ。
楕円軌道
それから約半世紀後、今度はティコ・ブラーエとヨハネス・ケプラーの番である。ティコはデンマークの天文学者で、貴族である。ウラニボリという豪華な天文台をデンマーク王から任され、そこで宴会なんかを開きながら、観測をしていたらしい。
ティコは親戚と剣で決闘をした過去があり、その時に鼻を切られている。ティコの鼻は、義鼻である。ホントウだったのかどうかわからないけれど、ティコは観測機器を除く時に義鼻をとって除くことができた。なのでより目を観測機器に近づけることができたという。ティコの功績は、天文学の精度を空前の高さに引き上げたことである。
ティコのパトロンだった王が宴会での飲み過ぎで死んでしまってからは、ティコは次の王からは相手にされず、ウラニボリを追い出されたそうだけど、彼はそのときに観測機器を全てもって、プラハに移り住み、そこの宮廷数学者となった。そこで、ヨハネス・ケプラーと出会うことになる。
ケプラーはルター派で、カトリックの君主からプラハに逃げてきたらしいが、二人はうまい具合に補い合うことができた。ティコはウラニボリから持ってきた当時最高の精度を誇る天文機器で測定したデータを持っていたし、ケプラーは理論を持っていた。ただしこの補い合いは、ギリギリのタイミングだったらしい。ティコが貴族だったのに対してケプラーは一般市民だったので、ティコはケプラーにデーターを見せず、一人でしまい込んでいたのだ。
ティコが膀胱が張って熱を出して死ぬと、ケプラーはティコが大量にしまい込んでいた観測データを使って、火星の軌道を予測し始めた。コペルニクスの地動説をもってしても、いまだ世の中では惑星の軌道を正確に予測することはできず、特に火星の軌道を予測するに当たって、誤差が大きかったらしい。
ティコの観測データを使って8年。ついにケプラーは正確に火星の軌道を予測することに成功した。火星の軌道を正確に観測するに当たってケプラーが示したのは、次の3つだった。
・惑星は完全な円でなく、楕円を描いて運動する
・惑星はたえず速度を変える。
・太陽はこれらの軌道の中心ではない。
惑星運動の謎を解いたケプラーは、「全能の神よ、私はあなたの考えを、あなたが考えられた通りに考えています」と叫んだという。
火星の軌道は、本当にわずかだが楕円をしており、太陽は楕円の2つある焦点の一方に位置しており、しかも火星は太陽に近いほど公転速度が早く、太陽から遠いほど好転速度が遅くなるらしい。
ケプラーは「新天文学」という本を著して自分の主張を発表したが、それでもまだ、世の中は変わらなかった。世の市民たちは、それでもまだ天動説を信じていたのだ。地動説が世に受け入れられるのは、もう少し先である。
望遠鏡のによって金星の満ち欠けが観測される
ケプラーは「新天文学」の出版から数年後、望遠鏡の噂を聞くことになる。ケプラーはそれまで望遠鏡を知らなかった。望遠鏡の存在を知ったケプラーは、驚愕したという。望遠鏡を使って天を覗いていたのは、ガリレオ・ガリレイである。
ガリレオが科学の父と呼ばれるのはどうしてか。確かにガリレオは初めに理論を打ち立てたわけでもないし、初めに実験をしたわけでもないし、初めに発明をした人物でもない。けれど、それら全てに秀でていた人物だった。理論家でもあり、実験の名手でもあり、観察者でもあり、発明家でもあったのだ。
望遠鏡の発明をしたのではガリレオではなく、望遠鏡の特許申請はリッペルスハイというオランダのメガネ商人によってなされている。ガリレオは、それ天文装置として実用化させたのだ。
ガリレオは望遠鏡で月を見て渓谷や山があるのを発見し、木星を見て4つの衛星を発見し、さらには金星の満ち欠けを発見した。特に金星の満ち欠けは、天動説には大打撃だった。というのも、天動説と地動説では、ともに金星の満ち欠けは予想していても、その予想がぜんぜん違うものだったからである。天動説では太陽の軌道を金星のさらに外側に想定していたのだ。もちろん、ガリレオの観測はした満ち欠けは、地動説の満ち欠けと合致していた。
けど、それでもカトリック教会は地動説を認めようとはしなかった。ガリレオが著した「天文対話」が教会をバカにする内容だと怒った教会は、1633年に宗教裁判を開いてガリレオを有罪とし、無期軟禁を言い渡したのだ。
「天文対話」を書き始めたときは、ガリレオには教皇の祝福をもらったという感触があった。というのも、そのときの教皇とガリレオは知り合いだったからだ。「今こそ世に真実を告げるタイミングだ」と思ったのだろう。けど天文対話を書き終えたのは、それから10年後だった。そのころにはヨーロッパ情勢もかわり、30年戦争の真っ只中で、カトリック教会が世間に求めていたのは、聖書に対する厳格さだったのだ。
知られているように、ガリレオは判決がくだった後、ひざまずいていた姿勢から立ち上がりながら、「それでも地球は動く」とつぶやいたとされている。
というわけで
以上は「宇宙創生」という本の、第五章まであるうちの第一章の部分なのだけど、いかがだろうか。いかに多くの人が、地球が太陽の周りを回っているという今となっては観測されている事実に並々ならぬ貢献をしてきたことか。単純に「プトレマイオス対コペルニクス」では語り尽くせない苦悩や努力や思想が、古代ギリシャからガリレオの時代までに渦巻いているのだ。
「宇宙創生」の115ページに、僕の好きな一文が載っている。
「彼らの業績には、科学が進歩するときの重要な特徴が見て取れる。すなわち、理論やモデルというものは、何人かの科学者たちがそれぞれ他人の仕事の上に立って、時間をかけて開発、改良してくなかで生まれるということだ」
真実を作ったのは、一人の人間ではない。現代の僕たちが受け入れている世界観、この世の中を作ったのは、一般的には名前の知られていない、知ろうとしなければ決して知ることのない多くの先人たちの人生によるものなのだ。
僕たちは生きていく中で、時に悩み苦しむ。自暴自棄にもなる。なかなか結果も出ず、その割に周りが進んでいるように感じるだろう。自分だけが取り残され、他の人はいかにも時代を作っていると思いがちだ。使い古された言葉ではあるけど、隣の芝生が青く見えるのではないだろうか。
けれど、それらの芝生も結局は一人の力でなされたのではなく、多くの人の苦労の上に成り立っているものなのだ。家の所有者を考えた場合は一人の名前が出てくるだろうけれど、実際に家を作ったのは計画から実際の建築まで、それには大なり小なり多くの人が関わっているのだ。
当たり前ではあるが、エラトステネス、アリスタルコス、コペルニクス、ティコ、ケプラー、ガリレオ。これでもほんの一部であるに違いない。名も知れぬ多くの人が、お互いに知ることなしに知識や思考を補いながら、現在の当たり前とも思える常識を作り上げたのだ。
目の前にある当たり前の向こう側に、膨大な数の先人たちがいるのだ。
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